バンブツルテン

観たり読んだり聴いたり行ったり考えたり

「ザ・シサ」(筋肉少女帯)―このアルバムはフィクションです/ある1ファンの視点から

筋少の新譜が出た時と年末年始以外めったに更新しないブログになってしまっているわけだが、例によって筋肉少女帯デビュー30周年記念オリジナルアルバム「ザ・シサ」の発売に伴い更新します。

ザ・シサ (初回限定盤A)
 

 
毎度書き方を模索しているのですが、このやり方がやっぱ書きやすいかなと「Future!」の時に思ったので、とりあえず踏襲。

各種インタビューでの発言を前提に書いているので、一応それらを貼っておきます。

まずは1曲ごとの感想。
このたびサブスクリプションサービスでも280曲以上解禁になったということなのでリンクを貼っていってみようと思います。私がSpotify使ってるのでSpotifyです。
CD(物理音源のことフィジカルっていうんだってね!最近は!)持っててもたまにサブスクで聴いてみたりするとランキングに貢献とかもできて良いのかな。

---------------------------------------------

01. セレブレーション

open.spotify.com

「ファンファーレ的な」と事前の記事で見ていたので、個人的には「サンフランシスコ」とか、あるいは「トゥルー・ロマンス」みたいな感じの始まり方を予想していたのですが、フタを開けてみれば、それはライブで何十回、何百回と聴いてきた、「あの」音から始まる曲でした。
ニコ生のイントロクイズでもネタになっていたとおり何度か音源にもなってきている、筋少ライブでおなじみの、幕開けの、かき回し。

うわあ、これ、これだよ、と思わせておいてから始まるのは、ゆったりとゴージャスな祝福の音楽。系統的には「レティクル座の花園」あたりを連想もするし、橘高さんのギターのメロがとっても「らしい」気がしたので、橘高曲だと言われても納得したかも。

 

02. I, 頭屋

open.spotify.com

インストゥルメンタルの1曲目に続く2曲目にして、異常に言葉数が多い。
ファンキーなリズムにオーケンの心情吐露(のように見える)歌詞というか語りということで、何をどうしたって連想するのはもちろん「サーチライト」でしょう。

open.spotify.com

私は初めて「サーチライト」を聴いた時はだいぶショックで、というのは、「この歌詞を見て、歌を聴いて、オーケン以外のメンバーはいったいどう思ったんだろう…? そして当時のファンは、これをどう受け止めていたんだろう…?」ということを考えてしまったから。
その時バンドはすでに再結成後で、リリース当時のことは完全に後追いで記録をたどるような感じだったんですが、この歌をライブで演奏している時のメンバーと、聴いている時のファンの気持ちとか考えちゃうといたたまれないな、と思ったわけです。

やがて、「そういう歌詞」の曲が筋少には決して珍しくないことを知って、いちいちショックを受けることはなくなったんだけども、それでも「サーチライト」に関してはやっぱり、リアルタイムでの受け取られ方を知りたい気がする。

で、今回の「I,頭屋」です。
途中までは生々しいオーケンの本音のように見える歌詞に心がヒリヒリしたんだけど(「顔にヒビを入れられ」「南無阿弥陀 コートを着せられ」とか、ディティールまでいやに細かいんだ)、「おや?」と思ったのは2番Aメロの、「身代わりを探す」くだりから。ここで、すごく、「この物語はフィクションです」という提示を受けたような気がしました。それは、アルバム全体に対して。

フィクションである、というフィルターを挟んだうえでも、どうしてもこの曲の主語はオーケン(本人というより、「筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂ」というキャラクターとして)であるとは思うんだけど、そこで「俺たちはクレイジーをやり切る役割なんだぜ!」と、主語が複数形になっているのもとてもキーになるところな気がした。
「俺」が「筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂ」なのであれば、「俺たち」はきっと筋肉少女帯だ。これが、オーケンの苦悩が孤独なものではないように感じさせてくれる効果につながって、個人的にはなんというか、安心感を得ました。

あと面白いのは、この曲の主人公は「もーいいよ」も聞こえていないし、「許されてもダメ」と思っているところなんだよなあ。
役割だから、置かれたところで狂い咲く。そう決めたんだよ!という宣言のようにも聞こえる。それは、個人的には、ゴメンな!とも思いつつも、とても嬉しい、ありがたい宣言です。

「リアルかくれんぼの鬼」は、天皇崩御=「おかくれになる」と「リアル鬼ごっこ」にかけた引用かな。

 

03. 衝撃のアウトサイダーアート

open.spotify.com

これはナタリーのインタビューなんかでも触れられていたとおり、「安心枠」というか、「これぞ筋少」「これぞ橘高節」という感じの1曲。
「激しい恋」をアウトサイダー・アートになぞらえた歌詞といい、非常に様式美的な構成に演奏といい、それこそ何かのCMソングでもあるような。
これもとても「フィクション」を感じる曲でした。

 

04. オカルト

open.spotify.com

そしてリード曲「オカルト」。

これも非常に「よくできた曲だなー!」というのが第一印象でした。
あまり「似た曲」が過去にないという意味では、とても「面白い」曲。
私はMV撮影をしたという9月24日のライブに行けなかったのもあり、「ザ・シサ」収録曲の初聴きは完全にこの「オカルト」のMVだったんですが、これをもって「ザ・シサはおそらく面白いアルバムっぽい」という印象を持っていました。

最後の最後でグッとカメラが引く、視点がグルッと転換させられる感覚もすごく気持ちよくて、これは個人的には藤子・F・不二雄先生の短編『どことなくなんとなく』という作品を連想しました。

www.shogakukan.co.jp

試し読みとかどっかでできないかと思ったんですがないようなので、読んだことなくて気になった方はぜひ短編集買ってみてください。面白いです。

MVの、歌詞がいちいち東スポやムーの見出しとか検証映像のキャプションぽく加工されて出てくるのも楽しかった。
対バンで見た打首獄門同好会のライブを思い出したりしました。

あと、情報量が多いせいか曲を聴いているとMVの映像がどうしても頭に浮かんじゃいますね。
どういうことかというと間奏では「筋少スペシャル」のロゴが浮かぶし、おいちゃんの逆回しのとこではその画が思いうかんでニコニコしちゃうということです。ウフフ

youtu.be

ライブでは「ピュイピュイ」の音のとことか「ハイハイ!」が楽しそうだな。

 

05. ゾンビリバー~Row your boat

open.spotify.com

これはラジオで一回聴いて、「言葉が多い!」「面白い!」「なんか演奏がヤバい!」という印象を持っていた曲。これもザ・橘高曲って感じですね。

インタビューでは、「この曲は人生そのもののことかもしれないし、筋肉少女帯のことなのかもしれない」みたいな曖昧な表現がされていたけれど、どうしても筋少についての歌だという視点をひとつは残しておきたいと思わされるのは、ひとつにはサビの分厚いコーラスやメンバーそれぞれが台詞を言う小芝居が含まれてることがありますが、もうひとつは、春のギターズの弾き語りツアーで、橘高さんが筋少のことを「船」に喩えていたからなんです。

 

https://twitter.com/fumfum_ks/status/988026724003692549

https://twitter.com/fumfum_ks/status/988026724003692549https://twitter.com/fumfum_ks/status/98802672400369254その時は筋少は「大きな船」と表現されていて、今回は「僕らにあるのは小さなこのボート」ではあるわけだけれども、それは、客観的に見たら豪華客船でも、舵を取る側からしたら「小さなボート」であるということかもしれない。視点の差異、視差。

歌詞も面白い。
「世界は人の思い出」というフレーズは、わかるようなわからないような。
「きりもみだぜゾンビリバー」「しびれちゃうゴンヌズバー」あたり笑いますね。好きですね。
「ゴンヌズバー」ってオーケンのエッセイとか以外で見たことない言葉なんだけど、元ネタあるのかな。

Row your boatの出てくる「ダーティハリー」はプライムビデオで観られるようなので、そのうち観てみたい。これだよね?

amzn.asia

 

06. なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?

open.spotify.com

出オチじゃないけれど、びっくりするタイトル。
曲はおいちゃんだよねー!って感じのとっても明るいミドルテンポのポップソング。
この曲の歌詞については、後でちょっと触れたいのだけど、ある意味「Future!」の視点を引き継いでいる内容のような気がしているし、そうでない気もしている。

恋人をちょっとやっちゃった「彼女」は、一つ前の「ゾンビリバー」で主人公が「ひととき好きだった、流れていったあの娘」だったりして、なんてことも思った。「ザジ、あんまり殺しちゃだめだよ」のザジかな、というのももちろん。

あと、水城せとなさんが「イブニング」で連載中の『世界で一番、俺が○○』というマンガに、主人公の一人である男子が好きな女が「恋人をちょっとやっちゃう」エピソードがあり、なんとなく連想しました。面白いのでオススメです。

evening.moae.jp

 

07. 宇宙の法則

open.spotify.com

仮タイトルが「アニバーサリー」だったというのも納得の、徹頭徹尾美しい橘高バラード。キラキラと輝くピアノ、ギター、シャララララ…って音はウィンドチャイムなのかな? 
とにかく、言葉の数が少ない分だけ、余白を埋め尽くすような美しい音で彩られた、ぜいたくな曲だと思います。

古い小さな喫茶店にいる若い二人は「ベティー・ブルーって呼んでよね」の二人なのか? 動かぬものを抱いた老いた男は「町のスケッチ」の「少女人形を抱いたおじいさん」なのか? この曲も、過去の歌に登場した人物へのリンクが気になる。

「生きてても何もいいことはないさ」は、個人的に、とても口ずさみたくなるフレーズです。
こういう厭世的な、シニカルな視点ってずーっと筋少が歌ってきたことのひとつでもあると思うけど、それを「白け あの少年 靴を見る」と、客観的に描写していることにはすごく、救いみたいなものを感じる。

「来世でも再びお逢いしましょう」は前作から引き続いてきたテーマであるわけだけど、同時に「来世でこそきっとお逢いしましょう」というフレーズも登場しているのはゾクッとするところで、「今世では出逢えなかった」相手に想いを馳せての歌なのかもしれないと思うと、若干スピリチュアル感のあるタイトルにもつながる怖さを感じる。

 

08. マリリン・モンロー・リターンズ

open.spotify.com

もともと2曲だったものを組み合わせたというおかげで、面白い構成になっている曲。「カメラを止めろ!」は「カメラを止めるな!」からかな。
「過去を返して 全て返してよ」と迫る女は、前作の「わけあり物件」で「きれいな私に戻してよ」と迫っていた女を思わせる。女、怖いねー。

open.spotify.com

終盤の固有名詞連呼のあたりは「飼い犬が手を噛むので」を連想しつつ、「シャロン・テート」にはもちろん「サンフランシスコ・10イヤーズアフター」を思うし(オーケンは「10イヤーズアフター」にシャロン・テートが出てくることを忘れていたが・笑)、「御船千鶴子」が音に乗れてないところがめっちゃいいですね。

open.spotify.com

「10イヤーズアフター」(というかアルバム「SAN FRANCISCO」)は配信されてなかった。

 

09. ケンヂのズンドコ節

open.spotify.com

出オチというかビックリタイトル曲ぶっちぎりのNo.1。
先斗町」「バチカン」の元ネタがわからない。なんかあるんだよねきっと?
知ってる人教えてくれ。

一時期トークイベントやライブのMCでよく言っていた「いいんぼう(いい陰謀)」「わるいんぼう(悪い陰謀)」が登場。
お前が上手くいかないのは陰謀だよ、と一度甘い言葉を吐いておいてから、お前が上手くいかないのはお前のせいだよ、他人のせいにするな、と突き放していくスタイル。
これも「飼い犬が手を噛むので」をちょっと感じるかな。ただ、どっちにしても上手くいくのは「いい陰謀」であると言っているのは面白い。

矢を射る天使(「ノゾミ・カナエ・タマエ」)の登場といい、奇妙にすぎる展開といい、なんとなくレティクル座妄想的な曲かもしれない。

 

10. ネクスト・ジェネレーション

open.spotify.com

事前披露でものすごく物議をかもしていたっぽい1曲。
これ、アンモラルな曲みたいに見えるけどそうじゃないんだよSFだよ、とオーケンがインタビューで言っているけれど、申し訳ないけど、そうは思えない(笑)。

老いも若きも、女性リスナーはそろってなにがしかを考えずにはおれない内容な気がします。締めの「恐るべし 遺伝子」がすっとぼけていて良い。

メロディと歌い方についてはマーク・ボラン的な解釈であるというのは、私はあまり詳しくないんだが、そういう印象を持っていたので、当たった!って感じでした。

 

11. セレブレーションの視差

open.spotify.com

01「セレブレーション」の全貌、にオーケンポエトリーリーディングが乗った曲。
祝福の音楽、まさしくそれでしかない音楽に乗せて語られる内容がとても興味深い。
シチリアのマフィアの皆殺しはきっと何かの映画だろうと思うんだけど、二人の花嫁の結婚式にも元ネタはあるのかな? 最近普通にそういうカップルの話は増えているからそれを反映しただけだろうか。

たまらなかったのは、「バンドが全く別の人々とすっかり入れ替わっていた」瞬間=「君が生涯ただ一度の激しい恋に堕ちたあの日」という箇所。
これも後でちょっと触れたいんだけど、それは私にとっては、筋肉少女帯というバンドに出会ったあの日のことだと思う。

特撮「ケテルビー」の「猫かと思ってよく見りゃパン」「喜びに見えるものは悲しみかもしれない」というテーマのリプレイであり、17年を経ての「続き」かもしれない。

「何もかも愛すべきものだったと思う視点から見たらいい」という総括は雑すぎやしないか、と思わせたところで、最後にその姿勢に対しても懐疑の目を提示して終わる。

頭から終わりまで、「視差」について言葉を尽くして考えている曲ですね。

あとは、「青春の蹉跌のテーマ」を考えたりもするかなあ。やはり。

 

12. パララックスの視差

open.spotify.com

私は本当に、音楽全体についてすごく詳しいわけではなくて、筋少とかオーケンの記事やエッセイに登場するミュージシャンは遡って聴いてみている、みたいなかじり方をしている人間なんですが、この曲はそれでも、「バカテク」という表現がぴったりくるんだろうな……と思わざるを得ない。
変拍子とか、ベースのうねり方とか、すごくプログレを感じる曲で、もちろん内田曲。

真っ白な掃除機が「体に見える」「心に見える」、恋する二人を描いたこの曲が、オーケンの中では「30周年を意識して書いた詞」であったというのは、ちょっと難解なところだなと思います。どういうことなんだろうか? 考え続けていきたい。

---------------------------------------------

 

さて、ここからはまとめ的に考えた「ザ・シサ」のすごいとこです。

まずひとつは、各メンバーの個性がそのままの方向に200%発揮されているところ。

「Future!」の感想として私が持っていたものの一つが、「各メンバーの(というか、おいちゃんと橘高さんの)個性がミックスされている」でした。
橘高色が薄いとも思った。これはたしか「YOUNG GUITAR」のレビューでも書かれていたことだったけど、直球メタルのおいちゃん曲「人から箱男」、ファンキーなカッティングが印象的な橘高曲「T2」とか。

それはそれですごく面白かったし、物足りないとか思ったわけでは全然なかったんだけど、今回、特に「衝撃のアウトサイダー・アート」「ゾンビリバー~Row your boat」「宇宙の法則」はどっからどう聴いても橘高曲だろ!って感じだなあと思ったわけです。

一方で、うねうねしたリズムの「I,頭屋」「オカルト」、明るくポップな「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」「ネクスト・ジェネレーション」はどっからどう聴いてもおいちゃん曲だろ!と。
(前述のとおり、「セレブレーション」は橘高曲だと言われても個人的には納得した気がする)

「ケンヂのズンドコ節」「パララックスの視差」にしても、このおかしい(ほめ言葉)曲とプログレ!な曲は、どっからどう聴いても内田曲だろ!って感じで。

さらに、長尺の語り(ポエトリーリーディング)、曲に対して異化効果を生むギョッとさせる歌詞、という点では、オーケンの歌詞も、オーケンにしか書けない感200%な感じ。

つまり、各メンバーの「これぞ!」っていう個性が、そのままの方向に、ぐぐーっと全面的に発揮されていると思うんです。
そして、曲のそれぞれの個性に、オーケンのビンビンに冴え渡った歌詞が乗ったことによって、各曲のポテンシャルが天井知らずに引き上げられている感がある。

 

次に、前作「Future!」から続く、筋少の「進化」が感じられるところ。

リマスター再発した影響で90年代後半筋少の感じを出したかった、という話もあり、確かにそれを感じさせはするんだけど、たぶん、技術的に円熟したということだったり、もっと新しいチャレンジをしていきたい思いだったり、そういうものの影響で、たしかに「再結成前を感じさせる」アルバムではあるけれど、単にそれだけには決してとどまっていなくて、休止中のそれぞれの活動や、再結成後の12年を経たことによる、そしてこれから先につながっていくのだという希望も含んでの、確かな「進化」を感じさせられました。

「Future!」があまりにも素晴らしくて、たった1年後に次のオリジナルアルバムが出るの、嬉しいけどちょっと待ってよ、という心境でした。正直。
でも、その恐れを200%でもって裏切ってくれたことによって、私の筋少に対する信頼(信仰といってもいい)はまた篤くなってしまった。

何が理由なのかは、リスナーの立場としてはわかりゃしないので完全に想像でしかないんだけど、一応ちょっと考えたことを書いておいてみると、「Future!」に「猫のテブクロ」再現ツアーが影響し、「ザ・シサ」に90年代後期のアルバムのリマスター作業が影響したということから、「年数が経ったことで、過去の音源に見られた筋少の魅力を、今の筋少に、まったく新しい形で反映できるようになった」のかなということ。

あとはオーケンが個人で弾き語りやメンバーを固定しないソロプロジェクトを始めたことで「やりたいこと」がはっきりして、それを実際に「やれる」ことになったことで、オーケンの「作詞脳が覚醒」したのかな、ということ。

いわゆる「語り」のある曲、しばらくめっきりやめていたのに、ソロプロジェクト「大槻ケンヂミステリ文庫(通称オケミス)」で大々的に「こういうのがやりたい」と取り入れ、それはまあ想定内ではあったんだけれども、筋少の楽曲にもその要素を入れてきたのが個人的には少し意外だったんですが(そういうのをやるためにオケミスを立ち上げたのかなと思ったので)、それによって「2018年の新しい筋少」が生まれたような気がする。

それはすごく、すごく、ものすごく、嬉しかった変化です。

 

それから触れておきたいのは、「愛とか恋とか」の扱いについて。

前作「Future!」では「愛とか恋とかわからないサイコキラー」や、「愛の意味がわかんない人間モドキ」の歌が歌われた。
その歌詞には私も個人的にとても共感したし、「ああ、私のような人間のことを歌ってくれている」と思った。

けれど同時に、オーケンはいつも「お仕事でやってるだけかもよ」の姿勢を崩さない、徹底した「俯瞰の人」でもあり、サイコキラーや人間モドキの気持ちを「描いている」にすぎない、ということも、頭の隅に置いておいたほうがいいんだろうな、とも思っています。

今回のアルバムでは、「愛とか恋とか」を歌った詞が多い。
登場人物の多くが恋をしている。
それが、前作で我ら人間モドキに寄り添ってくれたはずのオーケンの、裏切りとは言わないまでも、変節のように見えてしまう面もあるかもしれない。

でも、たぶん、同じなんだと思います。サイコキラーや人間モドキを歌うことも、愛や恋に身を焦がす恋人たちを歌うことも、同じように、「物語」を歌っているのだと思う。

自分も含めて前者に共感できる人がたぶん筋少のファンには比較的多いけど、後者には筋少ファンも含めた多くの人が共感できるのだろうなと思う。
それが、これは別の曲への言及ではあるけれども、オーケンの「一般の人に伝わるように書いたつもり」という発言の意味するところのような気もするし。

natalie.mu

とにかくこのアルバムってすごく「物語」「フィクション」であることを強く感じるから、登場する恋人たちの物語も、フィクションとして私は眺めています。

ただ、それでも、やっぱり前者に寄り添ってくれてるんじゃないかな、と個人的に感じたのは「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」の「愛し過ぎたあいつら」に対して「同情はしないけど くやしいな」と主人公が感じるところ。

これは、主人公がこの女友達のことを好きだったというようにももちろん読めるけれども、私は「殺してしまうほどに愛し過ぎる」感情を持てることを「うらやましい」と思う気持ちが「同情はしないけどくやしい」という表現になってるんじゃないのかな、と解釈しています。

そもそもこの曲の、「人が迷惑したりガックリしたりするから人を殺してはいけない」というテーマって、とても「人間モドキ」的だなとも思うし。

「来てくれなかったけど 憎めはしなかった」あたりは、やっぱり、主人公はこの女友達のことが好きだったんだと考えるほうが自然に読めるし、私の解釈は強引で無理矢理なのかもしれないけれど、見たいように見たらいいじゃない、と思うので。

それと、「セレブレーションの視差」。
「実は30年の間にそのバンドは全く別の人々とすっかり入れ替わっていたのかもしれない/もしそうなら それは あなたの思うその時だ 間違いない/君が生涯ただ一度の激しい恋に堕ちたあの日だ」というフレーズです。

これは字面通りに読めば「激しい恋によってものの見方が変わる」ことを提示しているわけですが、「激しい恋」そのものが、何か別のもののたとえであるとも考えられると思う。

で、私はこのフレーズは、先に少し述べたとおり、「筋肉少女帯というバンドに自分はあの日から激しい恋をしているのだ」という意味で解釈しています。

「生涯ただ一度の激しい恋」って、自分の場合は筋少に対してしか永遠にあてはまらない描写だと思うから。

その時にバンドが「全く別の人々とすっかり入れ替わっていた」というのはつまり、その日から私が見る筋少は、「私」というフィルターを介した存在になっているから。

それは筋少というバンドの側と、筋少をファンの立場で見聞きする私に「視差」がある、ということなのだと思います。

これは別の方のツイートでも書かれていたことで、同じことを私も考えたよということでここに記すことを許容いただきたいのですが、「ツアーファイナル」で「僕らは一夜の恋をした」と歌われていた、その「一夜の恋」こそが、自分にとっての「生涯ただ一度の激しい恋」だってことなんです。

open.spotify.com

この曲を聴きながらそれを考えた時に、私は泣けてしかたなかったです。

そういう視点から捉えたい。少なくとも、私は。

 

---------------------------------------------

 

「世の中には視差がある、正しいものなんて何もない」という、今回のアルバムに通底するテーマ、考え方は、私はすごく好きというか、絶対に常に持っていたいなと思うもので、そういうことを提示してくれるからオーケンの作るものが好きだな、と改めて実感したりもしています。

okmusic.jp

意外にそういうことを考えている人って多くない気がするけど、こういう視点を持っているほうが、圧倒的に生きやすくなるし、人に対しても寛容であれるよな、と思う。

そういう意味で、前作「Future!」が普通に憧れる人間モドキたちのためのアルバムなら、今作は、正しいものは一つと信じている人に聴いてほしいな、と思うアルバムかもしれない。

なかなか、見つけてもらうのは難しいかもしれないけど。

でも!ほら!せっかくサブスク解禁されたのだから!
これを機に、布教がんばってみてもいいんじゃないか!?

…なかなか難しいよね、と自分でも思いつつ、一人でも多くの人に、さらに筋少ちゃんの音楽が聴かれていってくれたらいいなと思います。

 

---------------------------------------------

 

前回に続いて今回も夜中から朝にかけての深夜のラブレター状態になってしまった。

あとで何か気づいたら手を入れます。ひとまずおわり。