バンブツルテン

観たり読んだり聴いたり行ったり考えたり

三次元の推しは

ある日突然、本当に突然、この世からいなくなってしまうこともある。

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すかんちのふしぎなKey&Vo、ドクター田中が先週、亡くなったとこのほどお知らせがありました。

ライブに頻繁に通い、バンドを、ミュージシャンを積極的に追いかけるようになってから私は今年でちょうど10年です。その間、「生で何度も観たことのある人が亡くなる」は3回経験しました。

1度目は小川文明さんでした。すかんちのもう1人のキーボーディストで、もちろんそれにとどまらない偉大なミュージシャンでした。とても悲しかった。でも、闘病中であることを知っていただけに、「おつかれさまでした」という思いが強かったです。

2度目はBERAさんでした。まだ1年も経ってないですね。これはもうとにかく突然でびっくりして、いまだに実感があまり持てていないところがあります。1週間くらいポンコツ化しました。あれからいまだに電車の音源をなんとなく聴けていません。

そして今回のドクター田中が3度目です。

あまりに突然であったこと、経緯が知らされていないこと、直前にTwitterを始めていて、まさに「先週」も更新していたこと、いろんな要素のおかげでBERAさんの時に輪をかけて現実感がなくていろいろ?????って感じなんですが、何より今までと違うのは、ドクター田中が、すかんちというバンドにおける、私の、いわゆる「推し」だったことです。

スタンディングのライブではいつもドクターの前に行きました。一挙手一投足に注目して、スベりMCに笑い、隣のサトケンさんとの仲良しぶりに微笑み、リコーダーやらギターやら自由なスタイルを面白がり、メインボーカルやコーラスで目立つ曲では全力で盛り上げ、ドクター!と声の限りにコールしていました。

DVDリリース記念ライブの後で催された購入特典の握手会で、会話禁止と言われながらどさくさに紛れて大好きです!と言い、反射的にありがとうございます、こちらこそ大好きです、と言ってもらったのは一生忘れないと思います。

電車は聴けなくなったのに昨日から今まですかんちばかり聴いたり見たりしています。なんでかなあ。実感が薄すぎるせいなのか、あまりにあっさりとした事実と自分の思い入れが乖離しすぎていてその間を埋めようとしているのか、手元や記憶の中にあるドクター田中の姿を繰り返し確かめないと自分の中からも薄らいでしまうような気がするのか。

ちっともわからないけど一つわかったのは、三次元に、現実に存在する推しはある日突然、何の前触れもなくいなくなってしまうこともあるのだということでした。わかりたくなかったなー。

取り急ぎ。いろいろあったしもちろん私が知らないこともたくさんたくさんたくさんたくさんあったのだろうと思います。今はどうぞゆっくり休んでね。

私は恋人はアンドロイドよりも涙のサイレント・ムービーが好きだけど、それでもライブで何回も聴いたから恋人はアンドロイドを聴くとしばらくは泣いてしまうと思う。あと、生で聴くことは一度もなかった涙 (but) no regretも。

怪演が印象深い好き好きダーリンや、渋公でコスプレで振り付け指導してくれたSugar Sugar Babyや、みんなでギターそろえてふざけてたスローソンの小屋や、コーラス→キーボードの切り替えがカッコ良かったMr.タンブリンマンや、文明さんとの役割分担が感慨深かったレターマンやロビタも。結局ぜんぶやないかーい

もう少し詳しいことが明らかになることや、お別れ(この言葉もマジで?????という感じだけど)を言える機会が作られることがあったらありがたいなと思っています。

最後に私が一番ドクターのことばかり考えていた時期のツイートをいくつか貼っておきたい。

 「このDVD」は「結成30周年TOUR Final!アメイジングすかんち2013」。

t.co

あなたのことが大好きでした。大好きです。

 

*****

 

1週間を経て少し落ち着いたというか、混乱から抜け出して少し穏やかに向き合えるようになってきました。とはいえまだ実感はないんだけど。

人がいなくなった時に受けるショックというものは「それが予測可能だったか否か」×「距離としての近しさ」×「自分の想いの強さ・大きさ」の三要素に左右されるのだなということを感じています。今回は、というかつまり「推し」がいなくなるというのは、「近しさ」要素はゼロで「想い」要素がとても大きいという歪なケースなのだな。

ひとつ考えているのは、これは『この世界の片隅に』で晴美さんを喪ったすずさんが語っていたことだったと思うけど、生き続ける人は、いなくなってしまった人の笑顔の、記憶の「容れ物」になるのだ、ということ。

生きている人から完全に忘れられた時に、人は本当にいなくなる。

私はただの一ファンで、それも「晩年」という言葉で表現できてしまうごく近年の彼の姿しか観ていないけど、私が観たドクターは私の中にだけ、確実に存在している。それは彼がステージに立って、その最後の数年に、1人の人間を魅了したことの証だ。

だから、私には、私が観たドクターのことを絶対に忘れないでいるという役割があるのだと思った。それは彼の人生の中ではほんの一瞬のかけらたちにすぎなかったであろうし、ヘニョヘニョだったことも多いし笑、「そんなんはよ忘れろや〜」なんて言うかもしれないけれど。

忘れませんよ。ずっと大好きです。

吾妻ひでお先生のこと

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本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
どうかゆっくりお休みください。


ここから先は、ただの自分語りです。
手塚・藤子作品で育ってはいてもSFマニアではなく、まして残念なことにロリコンでもなかった(オタクではあったけど)現在30代の人間が吾妻ひでおというマンガ家に強い思い入れを持つようになった過程と、その理由。

訃報が思っていた以上にショックで、それがなぜなのかを自分で整理しておきたくなっただけの文章です。


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1986年生まれの私は、吾妻先生がSFとパロディと美少女萌えを携えてマンガ界・(今で言う)オタク界に旋風を巻き起こしていたその時代をリアルタイムで知らない。
でもずっとその名前は知っていた。それは、もともと自分が手塚先生のファンであり、そこから派生してマンガ全般の歴史に強い関心があったからだった。

初めて「吾妻ひでお」という人物を認識したのは『七色いんこ』の吾妻先生といしかわじゅん先生を模したキャラクターが登場するエピソードだった気がするし、どういうマンガ家であったのかは高校生ぐらいから読み漁るようになった「日本一のマンガを探せ!」(宝島社)などのマンガ情報ムックや、研究書や、「『プライム・ローズ』が吾妻ひでお的なものへの対抗意識から描かれたものである」という言説などで「知って」いたにすぎなかった。
私にとって吾妻先生が「好きなマンガ家」になったのは、明確に『失踪日記』がきっかけだった。

失踪日記』が出版された2005年、私は大学生だった。マンモス大でサークルに入っていなかったので学内に友人らしい友人もあまりおらず(現在まで付き合いが続いている人は悲しいかなひとりもいない)、授業の合間に新刊・中古を問わず本屋に通いまくり、図書館に入り浸り、マンガとその関連書籍を貪るように読んでいた時期だ。
現在も殿堂入りで好きな作品、好きな作家として挙げることの多いマンガやマンガ家の多くには、この頃に出会った。
萩尾望都先生や、大島弓子先生や、高野文子先生や、大友克洋先生のマンガをこの頃はじめて読んだ。リアルタイムで『魔人探偵脳噛ネウロ 』が連載されるジャンプを毎週買った。モーニング、イブニング、ビッグコミックビッグコミックオリジナル漫画アクションコミックビームあたりを購読していた。とにかくマンガという表現の、文化の幅広さと奥深さにのめりこんだ時期だった。

それはもちろん純粋な興味関心から来るものであったのは確かだけれど、のめりこむことで現実から目を背けていた部分があったのも今思えば否定はできない。
内向的でオタク気質で根が暗い人間にとって、友人の少ない学生生活は、不安もありつつも、それなりに快適で楽しいものだったが、その後に迫ってくるのが就職活動という恐怖のイベントだった。
ハキハキと受け答えができる、明るく社交的な人間を一生懸命演じなければいけない、存在するとは思えなかった「自分の長所」をでっちあげてPRしなければならないことは大きなプレッシャーだった。

結局、見よう見まねで臨んだ就職活動に私は失敗した。わざと必修科目の単位をひとつ落とし、就職留年をする道を選んだ。
(これを許容してくれたことに関しては両親に頭が上がらないと今更ながら思う)

2005年の『失踪日記』と、2006年の『うつうつひでお日記』は、そんな不安定な大学生だった頃に読んだ。
1年留年したのちになんとか社会人になったのだが、ヒトとのコミュニケーションに慣れていない人間にとって「社会」は思っていたより結構きついもので、きついな~という生活の支えは音楽(吾妻マンガと同じ頃に出会った筋肉少女帯はその後の私にとって信仰と言ってもよいくらい大切なものになった)とマンガで、そのマンガの中で吾妻先生の「日記」シリーズは特別な存在感を持っていた。


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私は吾妻マンガにぐっと惹かれていた。もともと知識として「知って」はいて、興味もあったから、掘り進め始めると早かった。
おそらく『失踪日記』が話題になったことでこの頃、各社がこぞって重版をかけたり、過去作を復刊したりしていた。たしかその流れでハヤカワ文庫の「アズマニア」全3巻も読んだ。
これが伝説の…とワクワクしながら読んだ『不条理日記』は、パロディの元ネタが半分以上わからなかったと思う。わからなくてもなんだか好きだ、面白い、とは感じたけれど、これの意味がわかるようになりたいなあという気持ちのほうが強く残った。手塚作品と藤子作品で育っているからSF的なものに強い魅力を感じる回路はあったけど、原典にあたろうとはそれまで思ったことがなかった。

(強いていえば、大好きな手塚先生の短編集「ショート・アラベスク」のあとがきで「フレドリック・ブラウン風のショートショートです」と書かれているのを見てからブラウンにはずっと興味があったけど。閑話休題)

結局、吾妻マンガに触れたことがハヤカワ・創元文庫の海外古典SFに意識的に手を出すきっかけになった。『夏への扉』を読み、ブラウンをいくつも読んだけど、ディックやヴォネガットはそれから15年を経た今でも攻略できていない。自分が夢中になってそれらの小説を読めなかった、SFマニアになれなかったことは、ちょっとショックだった。なんとなく、吾妻先生のファンを名乗る資格が得られなかったように感じた。一方的に親しみを覚えていた吾妻先生の世界で、後追いの自分が堂々と遊ぶことを許されるには、ロリコンかSFマニアでなければならないような気がしたのだ。そうして少しの後ろめたさや劣等感も持ちつつも、それでもやっぱり私は吾妻ひでおというマンガ家が好きだと感じていた。

吾妻先生のマンガ表現がとにかく好きになった。
ヒョウタンツギやらスパイダーやらに通じるところのあるキャラ使い、キャラ化された自画像でひんぱんに自作に登場するところ、スターシステム、手足の太い人物などには、もう言い尽くされていることではあるだろうけど、初期〜中期手塚作品の直系という感じがして、自分の一番深いところに埋め込まれている手塚好き回路がビンビンに反応した。
もちろん女の子の可愛さもたまらなかったし、陰のある美少女の叙情的でエロチックな物語、いわゆる純文学シリーズの詩性にも魅了された。

そんなふうに吾妻先生の絵を、フィクションでの作風を、キャラを、世界観を大好きになった一方で、私が吾妻先生に一種特別な思い入れを持ったのは、自分がどこまでも根暗でネガティブなオタクであるからだと思う。
私は大して優しくも真面目でもないので本格的に病を得ることには今のところなっていないが、前述したような不安定な大学生〜新社会人だった頃から今でも、世の中全般をつらいものとして、でも深刻になりすぎずにとらえる吾妻先生の視点に、大げさな言葉を使うなら救われていた。

大好きだと感じる表現をする人が、バイタリティあふれる前のめり人間ではなく、内向的な、あえておこがましい言い方をすれば、自分と近い気質であると感じさせてくれるのが嬉しくて、だから私にとって吾妻先生は特別だったのだ。

「うつうつ」とした日々や、ダメ人間の自虐を描く作家はほかにもいる。
でも、吾妻先生の、自虐と、静かなプライドと、突き放したクールな第三者視点と、読者フレンドリーな読みやすい構成と絵柄と笑いが同居する作風は唯一無二だと思った。
食べたもの、読んだ本、観た番組、などをひたすら淡々と綴る『うつうつひでお日記』のテンションがとても気持ちよかった。いつ、どんな精神状態の時でも読めるのがこの本をはじめとする吾妻先生のエッセイマンガ類だった。
だから、吾妻先生の作品にはいろんな魅力があるし、吾妻先生はいろんな功績のある方だけど、私はあえて、あのマンガ絵日記たちを描いてくださったことに感謝の意を表したい。

まとめると、「根暗でつねにいろんなことが不安で賢ぶりたい手塚・藤子作品育ちのオタク」にとって、吾妻ひでおというマンガ家は本当に特別な存在だった。
自分の気質の矯正を何度も試みたけれど、もうここまで来るとどうしようもないんだろうなとも思っている。だからせめて、吾妻先生のマンガがあって良かったな、と思っています。


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吾妻ひでおを『失踪日記』で語らないでほしいという声を見ての、あれがなければ吾妻先生のファン(を名乗ってよいものならば)になっていなかった身からの声も含めての雑感でした。

あちらから存分にかわいい子を眺めたりして楽しんでおられますように。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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2018年を振り返る【ライブ編】

もう3月なんですが。今さらながら。

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1/13(土)竜理長「竜理長が円盤になったよ!」@高円寺JIROKICHI
1/20(土)筋肉少女帯「ハイストレンジネス・チケットメンバーズ会員限定LIVE」@新宿BLAZE

2/6(火)大槻ケンヂオーケンののほほん学校! 大槻ケンヂ生誕祭!!トークライブ編!!」ゲスト:増子直純、ナカジマノブ@新宿LOFT PLUS ONE

3/10(土)大槻ケンヂ大槻ケンヂ生誕祭!ロックLIVE編!オーケンナイトニッポン」@新宿BLAZE
3/21(水)筋肉少女帯「春の筋肉少女帯ワンマンフルライブ!! GO! 筋肉少女帯!!」@恵比寿LIQUID ROOM
3/31(土)水戸華之介「20×5=100LIVE」ゲスト:吉田一休@渋谷 七面鳥

4/6(金)大槻ケンヂ名曲喫茶オーケン&オーケンのほほん学校 カルカル初進出スペシャル~え!渋谷にカルカル移転したの!? よし、じゃあ名曲喫茶&のほ学2タイトル持ってGO!」ゲスト:内田雄一郎水戸華之介、タカハシヒョウリ@渋谷TOKYO CULTURE CULTURE
4/8(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@阿佐ヶ谷LOFT A
4/14(土)水戸華之介「20×5=100LIVE」ゲスト:澄田健@渋谷 七面鳥
4/16(月)大槻ケンヂオーケンのほほん学校!~大槻ケンヂデビュー30周年のほ学スペシャル~」ゲスト:竜理長、秋山眞人新宿LOFT PLUS ONE
4/20(金)竜理長「竜理長“W”誕生祭!!」@高円寺JIROKICHI
4/22(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@高崎SLOW TIME CAFE
4/28(土)竜理長/大槻ケンヂ「竜理長オーケンSWEETS”ツアー」@鎌倉 歐林洞

5/13(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@渋谷 7th FLOOR
5/26(土)水戸華之介「デビュー30周年記念興行 不死鳥~十五夜~」@渋谷TSUTAYA O-WEST

6/21(木)筋肉少女帯筋肉少女帯デビュー30周年記念日スーパースペシャル・突入!」@Zepp Divercity Tokyo

7/1(日)高橋竜三柴理「竜ちゃん&エディの秘密の部屋」@渋谷 七面鳥
7/7(土)水戸華之介&3-10chain「デビュー30周年記念ツアーFinal【溢れる人々2018】」@下北沢CLUB Que
7/21(土)竜理長「夏だ!! 海鮮竜理長!」@高円寺JIROKICHI
7/27(金)大槻ケンヂ名曲喫茶オーケン」ゲスト:本城聡章阿佐ヶ谷LOFT A
7/29(日)筋肉少女帯/メトロノーム「CRUSH OF MODE-PREMIUM HOT SUMMER'18-」@渋谷TSUTAYA O-EAST

8/4(土)筋肉少女帯ほか「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」@国営ひたち海浜公園
8/7(火)BOZE STYLE/スキップカウズ/ドミンゴス/水戸華之介水戸華之介デビュー30周年を後輩達が祝う会」Special同期Guest:大槻ケンヂ@下北沢CLUB Que
8/17(金)大槻ケンヂオーケンナイトニッポン3! 大槻ケンヂ新プロジェクト・プロトタイプライブ」@池袋BlackHole

9/1(土)打首獄門同好会/筋肉少女帯「ついに対バン祭2018~13年目の検証~」@Zepp Divercity Tokyo
9/2(日)ザ・キャプテンズ「大・失神天国 with ROLLY~ベスト盤リリース記念ワンマン~」@高崎Club FLEEZ
9/20(木)華吹雪ほか「ナカジマノブ博2018~ビバ! 52歳! どこを切っても俺! ※出演バンドすべてのドラムがナカジマノブです!!」@下北沢CLUB Que
9/24(月)すかんちほか「SHINKIBA JUNCTION 2018~SMAちゃん祭りジャン~」@新木場STUDIO COAST

10/14(日)竜理長/大槻ケンヂオーケン&竜理長ナイトニッポンツアー」@吉祥寺Star Pine's Cafe
10/20(土)水戸華之介「ウタノコリ」@新小久保R'sアートコート
10/26(金)竜理長「竜理長キノコ狩り」@高円寺JIROKICHI
10/27(土)水戸華之介&3-10chain/THE PRIVATES「SMILY's CONNECTION RE-TURNS」@下北沢CLUB251
10/28(日)大槻ケンヂオーケンののほほん学校高円寺編」@座・高円寺

11/10(土)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@名古屋CLUB QUATTRO
11/23(金)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@渋谷STREAM Hall

12/1(土)水戸華之介&3-10chain/MAGUMI & THE BREATHLESS「年末恒例!P-ROCKだよ全員集合! 2018年末尾を飾るポコチンロック2大スター(笑)夢の共演ツアー」@阿倍野ROCKTOWN
12/9(日)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@マイナビBLITZ赤坂
12/23(日)筋肉少女帯@恵比寿LIQUID ROOM

相変わらず春と秋が忙しいなあ。計38本。
昨年からはプラス1本ですが、まあペースは維持という感じ。

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■1/20(土)筋肉少女帯「ハイストレンジネス・チケットメンバーズ会員限定LIVE」@新宿BLAZE

通常ライブかと思わせておいて「おサル音頭」をBGMにメンバーが浴衣で現れるというとんでもサプライズがありました。長谷川さんの浴衣かっこよかったな…

 

■2/6(火)大槻ケンヂオーケンののほほん学校! 大槻ケンヂ生誕祭!!トークライブ編!!」ゲスト:増子直純、ナカジマノブ@新宿LOFT PLUS ONE

増子さんのトーク(っていうかツッコミ)スキルの高さを初めて知った。

■3/10(土)大槻ケンヂ大槻ケンヂ生誕祭!ロックLIVE編!オーケンナイトニッポン」@新宿BLAZE

振り返れば後に「大槻ケンヂミステリ文庫(通称オケミス)」となるプロジェクトの、わりと発端になるライブだったのかな。いや、厳密にはずっとたびたびこういうライブはされていたけれど。会場ではオーケンの衣装展示も。前年末公開で一大フィーバーを巻き起こした「仮面ライダー平成ジェネレーションズFinal」の衣装も見られました。東映さんありがとう。

https://www.instagram.com/p/BgJUiPunSNW/

オーケンナイトニッポン堪能しました!衣装も拝ませていただいた!おーけん改めておめでとうございました🎉🍻

 ■4/8(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@阿佐ヶ谷LOFT A
■4/22(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@高崎SLOW TIME CAFE
■5/13(日)橘高文彦本城聡章橘高文彦本城聡章 弾き語りAccoustic Live Tour 2018」@渋谷 7th FLOOR

筋少ギターズがついにがっつり弾き語りライブを始められました!
日を経るごとにライブとしてなんというか、練られていく過程が興味深かったなあ。
「航海の日」から始まって「アデイインザライフ」で締められる構成がほんとうに良かった。

■5/26(土)水戸華之介「デビュー30周年記念興行 不死鳥~十五夜~」@渋谷TSUTAYA O-WEST
■7/7(土)水戸華之介&3-10chain「デビュー30周年記念ツアーFinal【溢れる人々2018】」@下北沢CLUB Que

今年の不死鳥は3部構成。内容もバリエーションに富んでいて楽しかったし、ウタノコリコーナーの「マグマの人よ」はもう本当に素晴らしいなんて言葉では言えないぐらい凄い歌唱だったし、ブースカ氏を迎えての怒涛のアンジー曲には往時を思わせられて圧倒された。

https://www.instagram.com/p/BjPmcoTgkYe/

すごい良かったライブの後ってとりあえず「すごい良かった」しか言えなくなるんだけどすごい良かったです不死鳥。すばらしい一夜だった。水戸さん30周年おめでとうございます!

続くツアーファイナルも超満員、3-10chainをぎゅう詰め満員で観る機会ってあまりないので、新鮮でありつつ、楽しくもありつつ、でも一方で、アンジーの名前に呼ばれてきたそれらのお客さんたちがもっと今の水戸さんの歌を聴けばいいのにな、とどうしても思ってしまったな。

■6/21(木)筋肉少女帯筋肉少女帯デビュー30周年記念日スーパースペシャル・突入!」@Zepp Divercity Tokyo

デビュー記念日当日、ド平日に大箱ソールドアウトで迎えられてよかったなー。記念リリースもいっぱいでほくほくとしていた。
どうでもいいけどこの日、職場の引っ越し当日だったのもあり、翌日は完全に体が使いものにならなかった。

https://www.instagram.com/p/BkQDagRARgk/

筋少ちゃんデビュー30周年おめでとうございます🎉そしてありがとうございます。これからもよろしくね。まずは明日。たのしみだ!

https://www.instagram.com/p/BkSs9S8AsC3/

筋少ちゃんデビュー30周年突入!おめでとうございました✨なんかいろんなきもちが胸に去来する、すばらしい時間と空間だったな。ずっと在ってくれてありがとう、とあらためて。これからもずっと、よろしくお願いします!

■7/29(日)筋肉少女帯/メトロノーム「CRUSH OF MODE-PREMIUM HOT SUMMER'18-」@渋谷TSUTAYA O-EAST

ひっさびさの筋少ツーマンでしたね。くるくる回るやつ楽しかった。メトロノームさんはその後ちょいちょい音源も聴いてみています。

■9/24(月)すかんちほか「SHINKIBA JUNCTION 2018~SMAちゃん祭りジャン~」@新木場STUDIO COAST

文明さんがいなくなってしまってから、初めての「すかんち」名義での出演。もう、ないのかなと思っていたのでとても驚きました。びっくりするぐらい泣いてしまった。やっぱりずっと大好きだ、すかんち

■11/10(土)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@名古屋CLUB QUATTRO
■11/23(金)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@渋谷STREAM Hall
■12/9(日)筋肉少女帯「メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリースツアー」@マイナビBLITZ赤坂

「ザ・シサ」リリースツアー。アルバムの感想は↓

banbutsuluten.hatenablog.com

ちょっと久々に新譜ツアーを全通しませんでした(大阪を欠席)。
振り返ると「Future!」ツアーと違って全曲演奏してはいないのに、「Future!」よりもわかりやすくライブ映えする曲が多かったような気がする。「ゾンビリバー」「マリリン・モンロー・リターンズ」とか楽しかったね。
「ケンヂのズンドコ節」はついにツアーでも年末リキッドでも聴けなかったな、あとSEにはなっていたけど「セレブレーション(の視差)」も。いつか聴きたいです。

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もう今年は時間経っちゃったしまとめんでいいかなとか思ってたんだけど、やっぱりまとめておこうと思ったのは、まあ、BERAさんのことがきっかけといえばきっかけです。
それでまとめてみて気づいたけど、2018年は一度もステージの上のBERAさんを観ていなかったんですね。もっと言えば一昨年、2017年もそうだった。最後に(と書くと、やっぱりなんかぞわっとするというか、ふわっとするというか、ええ…?みたいな気持ちになるけど)観たのはどうも、2016年6月15日の戸川純/人間椅子新宿LOFTだったようです。そうだったんだなあ。そうだったんだ。

https://www.instagram.com/p/BGrWfwCLQc2/

戸川椅子!良いものを見ました!たのしかった!!

そして、そうだすかんちを観たんだよな今年は、とも思いました。こんなふうになるのかないつかBERAさんのことも。まだ全然実感がない。

とりあえずそんな感じです。

「ザ・シサ」(筋肉少女帯)―このアルバムはフィクションです/ある1ファンの視点から

筋少の新譜が出た時と年末年始以外めったに更新しないブログになってしまっているわけだが、例によって筋肉少女帯デビュー30周年記念オリジナルアルバム「ザ・シサ」の発売に伴い更新します。

ザ・シサ (初回限定盤A)
 

 
毎度書き方を模索しているのですが、このやり方がやっぱ書きやすいかなと「Future!」の時に思ったので、とりあえず踏襲。

各種インタビューでの発言を前提に書いているので、一応それらを貼っておきます。

まずは1曲ごとの感想。
このたびサブスクリプションサービスでも280曲以上解禁になったということなのでリンクを貼っていってみようと思います。私がSpotify使ってるのでSpotifyです。
CD(物理音源のことフィジカルっていうんだってね!最近は!)持っててもたまにサブスクで聴いてみたりするとランキングに貢献とかもできて良いのかな。

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01. セレブレーション

open.spotify.com

「ファンファーレ的な」と事前の記事で見ていたので、個人的には「サンフランシスコ」とか、あるいは「トゥルー・ロマンス」みたいな感じの始まり方を予想していたのですが、フタを開けてみれば、それはライブで何十回、何百回と聴いてきた、「あの」音から始まる曲でした。
ニコ生のイントロクイズでもネタになっていたとおり何度か音源にもなってきている、筋少ライブでおなじみの、幕開けの、かき回し。

うわあ、これ、これだよ、と思わせておいてから始まるのは、ゆったりとゴージャスな祝福の音楽。系統的には「レティクル座の花園」あたりを連想もするし、橘高さんのギターのメロがとっても「らしい」気がしたので、橘高曲だと言われても納得したかも。

 

02. I, 頭屋

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インストゥルメンタルの1曲目に続く2曲目にして、異常に言葉数が多い。
ファンキーなリズムにオーケンの心情吐露(のように見える)歌詞というか語りということで、何をどうしたって連想するのはもちろん「サーチライト」でしょう。

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私は初めて「サーチライト」を聴いた時はだいぶショックで、というのは、「この歌詞を見て、歌を聴いて、オーケン以外のメンバーはいったいどう思ったんだろう…? そして当時のファンは、これをどう受け止めていたんだろう…?」ということを考えてしまったから。
その時バンドはすでに再結成後で、リリース当時のことは完全に後追いで記録をたどるような感じだったんですが、この歌をライブで演奏している時のメンバーと、聴いている時のファンの気持ちとか考えちゃうといたたまれないな、と思ったわけです。

やがて、「そういう歌詞」の曲が筋少には決して珍しくないことを知って、いちいちショックを受けることはなくなったんだけども、それでも「サーチライト」に関してはやっぱり、リアルタイムでの受け取られ方を知りたい気がする。

で、今回の「I,頭屋」です。
途中までは生々しいオーケンの本音のように見える歌詞に心がヒリヒリしたんだけど(「顔にヒビを入れられ」「南無阿弥陀 コートを着せられ」とか、ディティールまでいやに細かいんだ)、「おや?」と思ったのは2番Aメロの、「身代わりを探す」くだりから。ここで、すごく、「この物語はフィクションです」という提示を受けたような気がしました。それは、アルバム全体に対して。

フィクションである、というフィルターを挟んだうえでも、どうしてもこの曲の主語はオーケン(本人というより、「筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂ」というキャラクターとして)であるとは思うんだけど、そこで「俺たちはクレイジーをやり切る役割なんだぜ!」と、主語が複数形になっているのもとてもキーになるところな気がした。
「俺」が「筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂ」なのであれば、「俺たち」はきっと筋肉少女帯だ。これが、オーケンの苦悩が孤独なものではないように感じさせてくれる効果につながって、個人的にはなんというか、安心感を得ました。

あと面白いのは、この曲の主人公は「もーいいよ」も聞こえていないし、「許されてもダメ」と思っているところなんだよなあ。
役割だから、置かれたところで狂い咲く。そう決めたんだよ!という宣言のようにも聞こえる。それは、個人的には、ゴメンな!とも思いつつも、とても嬉しい、ありがたい宣言です。

「リアルかくれんぼの鬼」は、天皇崩御=「おかくれになる」と「リアル鬼ごっこ」にかけた引用かな。

 

03. 衝撃のアウトサイダーアート

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これはナタリーのインタビューなんかでも触れられていたとおり、「安心枠」というか、「これぞ筋少」「これぞ橘高節」という感じの1曲。
「激しい恋」をアウトサイダー・アートになぞらえた歌詞といい、非常に様式美的な構成に演奏といい、それこそ何かのCMソングでもあるような。
これもとても「フィクション」を感じる曲でした。

 

04. オカルト

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そしてリード曲「オカルト」。

これも非常に「よくできた曲だなー!」というのが第一印象でした。
あまり「似た曲」が過去にないという意味では、とても「面白い」曲。
私はMV撮影をしたという9月24日のライブに行けなかったのもあり、「ザ・シサ」収録曲の初聴きは完全にこの「オカルト」のMVだったんですが、これをもって「ザ・シサはおそらく面白いアルバムっぽい」という印象を持っていました。

最後の最後でグッとカメラが引く、視点がグルッと転換させられる感覚もすごく気持ちよくて、これは個人的には藤子・F・不二雄先生の短編『どことなくなんとなく』という作品を連想しました。

www.shogakukan.co.jp

試し読みとかどっかでできないかと思ったんですがないようなので、読んだことなくて気になった方はぜひ短編集買ってみてください。面白いです。

MVの、歌詞がいちいち東スポやムーの見出しとか検証映像のキャプションぽく加工されて出てくるのも楽しかった。
対バンで見た打首獄門同好会のライブを思い出したりしました。

あと、情報量が多いせいか曲を聴いているとMVの映像がどうしても頭に浮かんじゃいますね。
どういうことかというと間奏では「筋少スペシャル」のロゴが浮かぶし、おいちゃんの逆回しのとこではその画が思いうかんでニコニコしちゃうということです。ウフフ

youtu.be

ライブでは「ピュイピュイ」の音のとことか「ハイハイ!」が楽しそうだな。

 

05. ゾンビリバー~Row your boat

open.spotify.com

これはラジオで一回聴いて、「言葉が多い!」「面白い!」「なんか演奏がヤバい!」という印象を持っていた曲。これもザ・橘高曲って感じですね。

インタビューでは、「この曲は人生そのもののことかもしれないし、筋肉少女帯のことなのかもしれない」みたいな曖昧な表現がされていたけれど、どうしても筋少についての歌だという視点をひとつは残しておきたいと思わされるのは、ひとつにはサビの分厚いコーラスやメンバーそれぞれが台詞を言う小芝居が含まれてることがありますが、もうひとつは、春のギターズの弾き語りツアーで、橘高さんが筋少のことを「船」に喩えていたからなんです。

 

https://twitter.com/fumfum_ks/status/988026724003692549

https://twitter.com/fumfum_ks/status/988026724003692549https://twitter.com/fumfum_ks/status/98802672400369254その時は筋少は「大きな船」と表現されていて、今回は「僕らにあるのは小さなこのボート」ではあるわけだけれども、それは、客観的に見たら豪華客船でも、舵を取る側からしたら「小さなボート」であるということかもしれない。視点の差異、視差。

歌詞も面白い。
「世界は人の思い出」というフレーズは、わかるようなわからないような。
「きりもみだぜゾンビリバー」「しびれちゃうゴンヌズバー」あたり笑いますね。好きですね。
「ゴンヌズバー」ってオーケンのエッセイとか以外で見たことない言葉なんだけど、元ネタあるのかな。

Row your boatの出てくる「ダーティハリー」はプライムビデオで観られるようなので、そのうち観てみたい。これだよね?

amzn.asia

 

06. なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?

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出オチじゃないけれど、びっくりするタイトル。
曲はおいちゃんだよねー!って感じのとっても明るいミドルテンポのポップソング。
この曲の歌詞については、後でちょっと触れたいのだけど、ある意味「Future!」の視点を引き継いでいる内容のような気がしているし、そうでない気もしている。

恋人をちょっとやっちゃった「彼女」は、一つ前の「ゾンビリバー」で主人公が「ひととき好きだった、流れていったあの娘」だったりして、なんてことも思った。「ザジ、あんまり殺しちゃだめだよ」のザジかな、というのももちろん。

あと、水城せとなさんが「イブニング」で連載中の『世界で一番、俺が○○』というマンガに、主人公の一人である男子が好きな女が「恋人をちょっとやっちゃう」エピソードがあり、なんとなく連想しました。面白いのでオススメです。

evening.moae.jp

 

07. 宇宙の法則

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仮タイトルが「アニバーサリー」だったというのも納得の、徹頭徹尾美しい橘高バラード。キラキラと輝くピアノ、ギター、シャララララ…って音はウィンドチャイムなのかな? 
とにかく、言葉の数が少ない分だけ、余白を埋め尽くすような美しい音で彩られた、ぜいたくな曲だと思います。

古い小さな喫茶店にいる若い二人は「ベティー・ブルーって呼んでよね」の二人なのか? 動かぬものを抱いた老いた男は「町のスケッチ」の「少女人形を抱いたおじいさん」なのか? この曲も、過去の歌に登場した人物へのリンクが気になる。

「生きてても何もいいことはないさ」は、個人的に、とても口ずさみたくなるフレーズです。
こういう厭世的な、シニカルな視点ってずーっと筋少が歌ってきたことのひとつでもあると思うけど、それを「白け あの少年 靴を見る」と、客観的に描写していることにはすごく、救いみたいなものを感じる。

「来世でも再びお逢いしましょう」は前作から引き続いてきたテーマであるわけだけど、同時に「来世でこそきっとお逢いしましょう」というフレーズも登場しているのはゾクッとするところで、「今世では出逢えなかった」相手に想いを馳せての歌なのかもしれないと思うと、若干スピリチュアル感のあるタイトルにもつながる怖さを感じる。

 

08. マリリン・モンロー・リターンズ

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もともと2曲だったものを組み合わせたというおかげで、面白い構成になっている曲。「カメラを止めろ!」は「カメラを止めるな!」からかな。
「過去を返して 全て返してよ」と迫る女は、前作の「わけあり物件」で「きれいな私に戻してよ」と迫っていた女を思わせる。女、怖いねー。

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終盤の固有名詞連呼のあたりは「飼い犬が手を噛むので」を連想しつつ、「シャロン・テート」にはもちろん「サンフランシスコ・10イヤーズアフター」を思うし(オーケンは「10イヤーズアフター」にシャロン・テートが出てくることを忘れていたが・笑)、「御船千鶴子」が音に乗れてないところがめっちゃいいですね。

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「10イヤーズアフター」(というかアルバム「SAN FRANCISCO」)は配信されてなかった。

 

09. ケンヂのズンドコ節

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出オチというかビックリタイトル曲ぶっちぎりのNo.1。
先斗町」「バチカン」の元ネタがわからない。なんかあるんだよねきっと?
知ってる人教えてくれ。

一時期トークイベントやライブのMCでよく言っていた「いいんぼう(いい陰謀)」「わるいんぼう(悪い陰謀)」が登場。
お前が上手くいかないのは陰謀だよ、と一度甘い言葉を吐いておいてから、お前が上手くいかないのはお前のせいだよ、他人のせいにするな、と突き放していくスタイル。
これも「飼い犬が手を噛むので」をちょっと感じるかな。ただ、どっちにしても上手くいくのは「いい陰謀」であると言っているのは面白い。

矢を射る天使(「ノゾミ・カナエ・タマエ」)の登場といい、奇妙にすぎる展開といい、なんとなくレティクル座妄想的な曲かもしれない。

 

10. ネクスト・ジェネレーション

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事前披露でものすごく物議をかもしていたっぽい1曲。
これ、アンモラルな曲みたいに見えるけどそうじゃないんだよSFだよ、とオーケンがインタビューで言っているけれど、申し訳ないけど、そうは思えない(笑)。

老いも若きも、女性リスナーはそろってなにがしかを考えずにはおれない内容な気がします。締めの「恐るべし 遺伝子」がすっとぼけていて良い。

メロディと歌い方についてはマーク・ボラン的な解釈であるというのは、私はあまり詳しくないんだが、そういう印象を持っていたので、当たった!って感じでした。

 

11. セレブレーションの視差

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01「セレブレーション」の全貌、にオーケンポエトリーリーディングが乗った曲。
祝福の音楽、まさしくそれでしかない音楽に乗せて語られる内容がとても興味深い。
シチリアのマフィアの皆殺しはきっと何かの映画だろうと思うんだけど、二人の花嫁の結婚式にも元ネタはあるのかな? 最近普通にそういうカップルの話は増えているからそれを反映しただけだろうか。

たまらなかったのは、「バンドが全く別の人々とすっかり入れ替わっていた」瞬間=「君が生涯ただ一度の激しい恋に堕ちたあの日」という箇所。
これも後でちょっと触れたいんだけど、それは私にとっては、筋肉少女帯というバンドに出会ったあの日のことだと思う。

特撮「ケテルビー」の「猫かと思ってよく見りゃパン」「喜びに見えるものは悲しみかもしれない」というテーマのリプレイであり、17年を経ての「続き」かもしれない。

「何もかも愛すべきものだったと思う視点から見たらいい」という総括は雑すぎやしないか、と思わせたところで、最後にその姿勢に対しても懐疑の目を提示して終わる。

頭から終わりまで、「視差」について言葉を尽くして考えている曲ですね。

あとは、「青春の蹉跌のテーマ」を考えたりもするかなあ。やはり。

 

12. パララックスの視差

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私は本当に、音楽全体についてすごく詳しいわけではなくて、筋少とかオーケンの記事やエッセイに登場するミュージシャンは遡って聴いてみている、みたいなかじり方をしている人間なんですが、この曲はそれでも、「バカテク」という表現がぴったりくるんだろうな……と思わざるを得ない。
変拍子とか、ベースのうねり方とか、すごくプログレを感じる曲で、もちろん内田曲。

真っ白な掃除機が「体に見える」「心に見える」、恋する二人を描いたこの曲が、オーケンの中では「30周年を意識して書いた詞」であったというのは、ちょっと難解なところだなと思います。どういうことなんだろうか? 考え続けていきたい。

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さて、ここからはまとめ的に考えた「ザ・シサ」のすごいとこです。

まずひとつは、各メンバーの個性がそのままの方向に200%発揮されているところ。

「Future!」の感想として私が持っていたものの一つが、「各メンバーの(というか、おいちゃんと橘高さんの)個性がミックスされている」でした。
橘高色が薄いとも思った。これはたしか「YOUNG GUITAR」のレビューでも書かれていたことだったけど、直球メタルのおいちゃん曲「人から箱男」、ファンキーなカッティングが印象的な橘高曲「T2」とか。

それはそれですごく面白かったし、物足りないとか思ったわけでは全然なかったんだけど、今回、特に「衝撃のアウトサイダー・アート」「ゾンビリバー~Row your boat」「宇宙の法則」はどっからどう聴いても橘高曲だろ!って感じだなあと思ったわけです。

一方で、うねうねしたリズムの「I,頭屋」「オカルト」、明るくポップな「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」「ネクスト・ジェネレーション」はどっからどう聴いてもおいちゃん曲だろ!と。
(前述のとおり、「セレブレーション」は橘高曲だと言われても個人的には納得した気がする)

「ケンヂのズンドコ節」「パララックスの視差」にしても、このおかしい(ほめ言葉)曲とプログレ!な曲は、どっからどう聴いても内田曲だろ!って感じで。

さらに、長尺の語り(ポエトリーリーディング)、曲に対して異化効果を生むギョッとさせる歌詞、という点では、オーケンの歌詞も、オーケンにしか書けない感200%な感じ。

つまり、各メンバーの「これぞ!」っていう個性が、そのままの方向に、ぐぐーっと全面的に発揮されていると思うんです。
そして、曲のそれぞれの個性に、オーケンのビンビンに冴え渡った歌詞が乗ったことによって、各曲のポテンシャルが天井知らずに引き上げられている感がある。

 

次に、前作「Future!」から続く、筋少の「進化」が感じられるところ。

リマスター再発した影響で90年代後半筋少の感じを出したかった、という話もあり、確かにそれを感じさせはするんだけど、たぶん、技術的に円熟したということだったり、もっと新しいチャレンジをしていきたい思いだったり、そういうものの影響で、たしかに「再結成前を感じさせる」アルバムではあるけれど、単にそれだけには決してとどまっていなくて、休止中のそれぞれの活動や、再結成後の12年を経たことによる、そしてこれから先につながっていくのだという希望も含んでの、確かな「進化」を感じさせられました。

「Future!」があまりにも素晴らしくて、たった1年後に次のオリジナルアルバムが出るの、嬉しいけどちょっと待ってよ、という心境でした。正直。
でも、その恐れを200%でもって裏切ってくれたことによって、私の筋少に対する信頼(信仰といってもいい)はまた篤くなってしまった。

何が理由なのかは、リスナーの立場としてはわかりゃしないので完全に想像でしかないんだけど、一応ちょっと考えたことを書いておいてみると、「Future!」に「猫のテブクロ」再現ツアーが影響し、「ザ・シサ」に90年代後期のアルバムのリマスター作業が影響したということから、「年数が経ったことで、過去の音源に見られた筋少の魅力を、今の筋少に、まったく新しい形で反映できるようになった」のかなということ。

あとはオーケンが個人で弾き語りやメンバーを固定しないソロプロジェクトを始めたことで「やりたいこと」がはっきりして、それを実際に「やれる」ことになったことで、オーケンの「作詞脳が覚醒」したのかな、ということ。

いわゆる「語り」のある曲、しばらくめっきりやめていたのに、ソロプロジェクト「大槻ケンヂミステリ文庫(通称オケミス)」で大々的に「こういうのがやりたい」と取り入れ、それはまあ想定内ではあったんだけれども、筋少の楽曲にもその要素を入れてきたのが個人的には少し意外だったんですが(そういうのをやるためにオケミスを立ち上げたのかなと思ったので)、それによって「2018年の新しい筋少」が生まれたような気がする。

それはすごく、すごく、ものすごく、嬉しかった変化です。

 

それから触れておきたいのは、「愛とか恋とか」の扱いについて。

前作「Future!」では「愛とか恋とかわからないサイコキラー」や、「愛の意味がわかんない人間モドキ」の歌が歌われた。
その歌詞には私も個人的にとても共感したし、「ああ、私のような人間のことを歌ってくれている」と思った。

けれど同時に、オーケンはいつも「お仕事でやってるだけかもよ」の姿勢を崩さない、徹底した「俯瞰の人」でもあり、サイコキラーや人間モドキの気持ちを「描いている」にすぎない、ということも、頭の隅に置いておいたほうがいいんだろうな、とも思っています。

今回のアルバムでは、「愛とか恋とか」を歌った詞が多い。
登場人物の多くが恋をしている。
それが、前作で我ら人間モドキに寄り添ってくれたはずのオーケンの、裏切りとは言わないまでも、変節のように見えてしまう面もあるかもしれない。

でも、たぶん、同じなんだと思います。サイコキラーや人間モドキを歌うことも、愛や恋に身を焦がす恋人たちを歌うことも、同じように、「物語」を歌っているのだと思う。

自分も含めて前者に共感できる人がたぶん筋少のファンには比較的多いけど、後者には筋少ファンも含めた多くの人が共感できるのだろうなと思う。
それが、これは別の曲への言及ではあるけれども、オーケンの「一般の人に伝わるように書いたつもり」という発言の意味するところのような気もするし。

natalie.mu

とにかくこのアルバムってすごく「物語」「フィクション」であることを強く感じるから、登場する恋人たちの物語も、フィクションとして私は眺めています。

ただ、それでも、やっぱり前者に寄り添ってくれてるんじゃないかな、と個人的に感じたのは「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」の「愛し過ぎたあいつら」に対して「同情はしないけど くやしいな」と主人公が感じるところ。

これは、主人公がこの女友達のことを好きだったというようにももちろん読めるけれども、私は「殺してしまうほどに愛し過ぎる」感情を持てることを「うらやましい」と思う気持ちが「同情はしないけどくやしい」という表現になってるんじゃないのかな、と解釈しています。

そもそもこの曲の、「人が迷惑したりガックリしたりするから人を殺してはいけない」というテーマって、とても「人間モドキ」的だなとも思うし。

「来てくれなかったけど 憎めはしなかった」あたりは、やっぱり、主人公はこの女友達のことが好きだったんだと考えるほうが自然に読めるし、私の解釈は強引で無理矢理なのかもしれないけれど、見たいように見たらいいじゃない、と思うので。

それと、「セレブレーションの視差」。
「実は30年の間にそのバンドは全く別の人々とすっかり入れ替わっていたのかもしれない/もしそうなら それは あなたの思うその時だ 間違いない/君が生涯ただ一度の激しい恋に堕ちたあの日だ」というフレーズです。

これは字面通りに読めば「激しい恋によってものの見方が変わる」ことを提示しているわけですが、「激しい恋」そのものが、何か別のもののたとえであるとも考えられると思う。

で、私はこのフレーズは、先に少し述べたとおり、「筋肉少女帯というバンドに自分はあの日から激しい恋をしているのだ」という意味で解釈しています。

「生涯ただ一度の激しい恋」って、自分の場合は筋少に対してしか永遠にあてはまらない描写だと思うから。

その時にバンドが「全く別の人々とすっかり入れ替わっていた」というのはつまり、その日から私が見る筋少は、「私」というフィルターを介した存在になっているから。

それは筋少というバンドの側と、筋少をファンの立場で見聞きする私に「視差」がある、ということなのだと思います。

これは別の方のツイートでも書かれていたことで、同じことを私も考えたよということでここに記すことを許容いただきたいのですが、「ツアーファイナル」で「僕らは一夜の恋をした」と歌われていた、その「一夜の恋」こそが、自分にとっての「生涯ただ一度の激しい恋」だってことなんです。

open.spotify.com

この曲を聴きながらそれを考えた時に、私は泣けてしかたなかったです。

そういう視点から捉えたい。少なくとも、私は。

 

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「世の中には視差がある、正しいものなんて何もない」という、今回のアルバムに通底するテーマ、考え方は、私はすごく好きというか、絶対に常に持っていたいなと思うもので、そういうことを提示してくれるからオーケンの作るものが好きだな、と改めて実感したりもしています。

okmusic.jp

意外にそういうことを考えている人って多くない気がするけど、こういう視点を持っているほうが、圧倒的に生きやすくなるし、人に対しても寛容であれるよな、と思う。

そういう意味で、前作「Future!」が普通に憧れる人間モドキたちのためのアルバムなら、今作は、正しいものは一つと信じている人に聴いてほしいな、と思うアルバムかもしれない。

なかなか、見つけてもらうのは難しいかもしれないけど。

でも!ほら!せっかくサブスク解禁されたのだから!
これを機に、布教がんばってみてもいいんじゃないか!?

…なかなか難しいよね、と自分でも思いつつ、一人でも多くの人に、さらに筋少ちゃんの音楽が聴かれていってくれたらいいなと思います。

 

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前回に続いて今回も夜中から朝にかけての深夜のラブレター状態になってしまった。

あとで何か気づいたら手を入れます。ひとまずおわり。

『凪のお暇』原画展@東京おかっぱちゃんハウス

練馬・上石神井にて2018/9/15(土)・16(日)2日間限定で催された『凪のお暇』原画展に行ってきました。
開催はなんとなく知ってはおり、家からもそう遠くないし、2日間限定だし…と軽い気持ちで行ったんですが、すごく楽しかったので感想をしたためておきます。

ちなみに一応書いておくと『凪のお暇』(コナリミサト)は、空気を読みすぎて疲れてしまったアラサー女子・凪ちゃんが一念発起して「お暇」をいただき、いろんな発見をしたり、幸せを感じたり、やっぱり悩んだりするお話です。

twitter.com

www.akitashoten.co.jp

とてもおもしろいので未読の人は読んでください(雑なリコメンド)

 

それでは、改めて原画展の感想です。

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会場の「東京おかっぱちゃんハウス」は、
西武新宿線上石神井駅から徒歩5分ほどの場所にある施設。

www.okappachan.com
広々とした古民家をカフェを備えたイベントスペースとして活用している、
おもしろいところでした。

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外観も中もすごく「家」

入口で観覧料とカフェ利用料を支払い、入場。
お家の中なので、もちろんここで靴を脱ぎます。

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お花は豆苗を卸している会社からだったようです

まずカラーのウェルカムボード的なイラストと、
その奥にどうにも懐かしさを刺激されて心の底がウズウズしちゃう作品が…。

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よく見ると案の定、小学生の頃のコナリ先生の作品とのことでした。

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懐かしい何かで心がざわつく

色とりどりの洗濯ばさみ(!)で留められた、ポストカード大の大量のラフめイラストたちの中にはわかるさん、オカヤイヅミさんなどのメッセージも。

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そして右を向けば、そこにはカラフルなフレームに収められた『凪のお暇』原画たちが…!

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ちなみにコレ、原稿用紙のコピーに鉛筆で描かれた下絵と、原稿用紙に描かれたペン入れ後の原画が並べて飾られており、さらにそれぞれコナリ先生の「このシーンはこういう演出にしたかった」「もともとはこうするつもりだったけどこう変更した」みたいなコメントが手書きで付けられていて、この趣向だけでも、原画が整然と並んでいる一般的な原画展とは異なり、「原画の細かいニュアンスに感動する」にもうひとつ楽しみ方がプラスされている感じがとても良かったです。

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それにしても、下絵が別の紙でそのまま残っているというのはどういう制作工程なんだ? 原稿用紙の下に下絵を敷いてトレースするのかな??

左手には、作画に使われている画材たちが。

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手書きのキャプションも

原画に添えられているコメントによると、ペン入れまでアナログで仕上げにデジタルをちょっと使われている感じ。
そのアナログの画材たちもほぼミリペン・筆ペンのみというシンプルさ。

広いスペースのほうに行くと、こちらにもたくさんの原画と下絵とイラスト、ネームなどなど…が、空間をフルに使って同様にたっぷり展示されています。

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手前左手にあるのはもちろん、あの凪の“相棒”の黄色い扇風機!

奥の床の間みたいなところには、『凪のお暇』読者にはおなじみのアイテム「豆苗」が堂々と、そして「おしぼりひよこ」「空き缶キャンドルホルダー」がちょこんと置かれている。

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人生でこんなに「豆苗」に親しみを抱いたことない

テーブル(ちゃぶ台)にはおきまりの感想ノートに加え、作中で凪が作った料理のレシピノート、そしてこれも凪たちが作っていた「毛糸のポンポン」の作り方と、実際に作れる毛糸たちが!

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私が行ったときは親子づれの方がふた組ほどいらっしゃったのですが、
ちびっこたちも興味津々な様子で微笑ましかった~。

いつまでも原画を見ていたい気持ちを抑えてカフェコーナーへ。
入場時にもらう引換券を渡して注文。レモネードにしました。
作中登場スイーツ、「パンの耳チョコ」付き。おいしい。

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来場特典のエコバッグとポストカードも合わせて記念撮影

私はカウンターのほうでいただいたんですが、手前には掘りごたつのスペースもあり、こちらでも親子連れのお客さんがくつろいでおられました。

そんな感じで堪能し、名残を惜しみつつ出口へ向かうと、特典ポストカードと並んで、なにやらオシャレげなフライヤーが…

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オシャレなことだけはわかる!

その名も「ゴン界隈製作 謎のフライヤー」!
基本情報がよくわからないことでおなじみの、あの!笑
QRコード読むとどこかにつながるみたいだったんですが、もらってくるのをうっかり忘れるという痛恨のミスを犯しました。くそう…

と、最後の最後まで楽しませてもらい、ようやく会場を後にしました。

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とにかく楽しさぎっしり!の展示イベントでありました。

作品の雰囲気にこれ以上ないくらいにぴったりの会場といい、上でも書きましたが原画の飾り方の工夫といい、とにかく「いま、ここでやるからこそ、来る価値がある」イベントだったな~と思います。

作中に登場したいろんなアイテムやメニューの再現や、ラフに、でもかわいくポップに展示されたちいさなイラストやネームたちにしても、作品の世界観をリアルに現出させることにこだわりが感じられて、単なる原画展ではなく『凪のお暇』という作品の小さなテーマパークのようでした。

たぶん今回のために描きおろしたイラストもたくさんあったんだろうし、いたるところに手書きコメントカードも置かれていたし、コナリ先生と企画運営スタッフのみなさんが楽しいイベントにするためにものすごいエネルギーを注いでくれた、それもワイワイ楽しくやってくれたのであろう感じが伝わってくる空間。

たった2日間だけなのに、だからこそなのか、とにかくサービスが盛りだくさんの「お祭り」という雰囲気。会場は静かでゆったりした一軒家ながら熱量がすごくて、その調和から生まれるあたたかい温度感がとても気持ちよかったです。

小さな会場での展示イベント、最近はすごく増えているけど、その大成功例のひとつなのではないかなと思いました。
いろんなマンガのこういうイベント行ってみたいし、やってみたいな。
楽しかった!

「谷川俊太郎 展」@東京オペラシティ アートギャラリー

東京オペラシティで開催中の「谷川俊太郎 展」に行ってきました。
とても面白かったし、いろんなことを考えたので、書き留めておきます。

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私が行った日は都築響一さんとのトークショーがあったこともあり、賑わってはいましたが、ベルトコンベア式にならざるを得ない種類の展示と違って自由に見て回れる形になっているので、窮屈な感じはありませんでした。

(ちなみにこのトークショーにも参加しました。現代詩をめぐる状況、SNS時代の詩の在り方、AIは詩だけは作れない…など、やわらかい雰囲気ながら示唆に富んだ楽しい時間でした)

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レポートにまとめる自信はないので…メモの一部


小山田圭吾×中村勇吾作品展示

場内は、一部を除いて/特定展示物の接写でなければ撮影OK。
展示と展示の間は、薄手の真っ白な布で仕切られています。

「ご挨拶」を経て、最初に入る暗い部屋は、上記の二人のコラボレーションで谷川さんの詩を表現した作品の展示室。
「かっぱ」などの言葉遊び系の谷川さんの詩が、一画面に一文字ずつ表示されて、同時にその字(音)を発する声がスピーカーから流れ、つなげて聞けば最終的にひとつの詩になっている。この形で、数編の詩を見て、聞きます。

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写真では伝えづらい

ぶっちゃけ音楽の印象がほとんどないんですが(環境音楽に近いものなのだと思うので、それもそれで正しいのではないかな)、とにかく、すごく根源的な視覚と聴覚でひとつながりの言葉たちを体感する感覚が、とてもとても面白かった。
まず、この時点でぐっと興味を惹かれました。


▼メイン展示「自己紹介」

続いて仕切り布をくぐると、そこには、巨大な平べったい直方体がたくさん立っています。ここが、メイン展示会場。

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不思議な圧を感じる

直方体たちの側面に、今回の展示のために書き下ろされた谷川さんの新作詩「自己紹介」が1行ずつ書かれていて、足を踏み入れた瞬間、この「自己紹介」という詩が、強弱をもって目に飛び込んできます。
この絵面だけでも結構びっくりする。

直方体はそれぞれ、「自己紹介」の、その側面に描かれている「行」に対応する谷川さん自身の暮らしや歴史をあらわすモノの、ちいさな展示室になっています。

「私は背の低い禿頭の老人です」の「行」には「ポートレイト」として等身大の写真が付され、「もう半世紀以上のあいだ」の「行」は「歴史」として、谷川さんが詩作に使われてきたツールの変遷の展示空間に、など。
(手書き原稿→ワープロ→PC。)

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鑑賞している人も含めて絵になっている感じ

現在谷川さんが使われているMacのWord上で、詩がつくられていく過程がそのまま展示されていたのもびっくり。
今は詩人だってPCなどで作品を書く。当たり前なのに、なんとなく「詩」「詩人」とPCって遠いイメージだったなー。

そして、反対側の側面には、谷川さん手書きの「ひとこと」がペタペタと貼られていて、それがとてもキュート。

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歴代のワープロ→PC、「ひとこと」の一例 

壁面に大きく掲示された谷川さん撮影の写真や、「自己紹介」の合間に立っているちいさな柱に載った「詩の本」にも、思わず見入ってしまう。

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そんなにものすごく広い空間ではないけれど、あっという間に小一時間経ってしまいました。

 

▼「自己紹介」の、あと

メイン展示室を出て、大きな白い薄布を隔てた向こうには、こちらも今回の書き下ろし新作詩「ではまた」が、二面の壁を使って書かれている。

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ただ詩が書かれているだけ、の部屋

その先にあるのは、長~~~~い谷川さんの年譜。
トークショーで話されていたが、東京オペラシティでの展示では、やたら長い年譜が掲示されることがままあるらしい)

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めっちゃ長い

そして最後に現れるのが、「谷川俊太郎から3.3の質問」。
3+1つの質問に対する16人の回答が、3つの大きなモニターと1つの小さなモニターに表示されていく。
阿川佐和子みうらじゅん浅野いにお最果タヒ又吉直樹、そしてSiri(!)…などなど、いろんなジャンルの回答者の答えは、姿勢も表現も自由で多様で興味深かったです。

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これもふしぎな絵面

展示は以上。
じっくりと詩を味わいながらゆっくり回って、約2時間。
ぜいたくな時間でした。

 

▼考えたこと:なぜ谷川さんの詩が好きなのか

以下は、展示を見ながらとか、見たあととかに、考えたことです。

谷川俊太郎さんの詩を、そうと初めて認識したのは、たぶん中学生のときでした。
国語の教科書に載っていた「三つのイメージ」に、なんだか強い感銘を受けて、この詩をルーズリーフに書き写して持ち歩いたうえに、授業の一環として(なんの授業だったんだろう、いま思えば)書いた「20歳の自分に宛てた手紙」に同封していました。
それは人生で最初の「詩人」と呼ばれる人との出会いであり、「詩」というものの面白さを感じた経験であった気がします。

国語の教科書というのはありがたいもので、その後も必ずいくつかの詩歌が載っていたので、著名な詩人の作品に触れる機会は教科書からもらえたわけですが、その中で「好き、ほかの作品もたくさん見てみたい」と思ったのは谷川さんだけでした。

なぜ谷川さんの詩に私が惹かれたのか。
もちろん、東京オペラシティで展覧会が催されるほどの国民的人気を持つ人なわけだから、大きな理由なんてなくて、単に「たくさんの人の心に響きやすい詩だから」かもしれないけれども、今回の展示とトークショーを経て、なんとなく、その理由の片鱗をつかんだ気がしました。

谷川さんは場内のメモ書きに、「抽象より具体が好き」と書いた。
とかく芸術分野って、抽象的なものこそが高等で、素晴らしくて、理解できる一握りの優秀な人間のためにあるのだ、みたいな空気を感じることがあります。
そんなとき私は、自分が「そういうものが理解できない、ピンとこない、素晴らしいと思えない、賢くも優秀でもないただのオタク気質の人間」であることを実感する気がして、勝手にモヤモヤしたりします。

だけど、平易でわかりやすい言葉で、しかも多彩な形式で、自由に、でもすごく深遠な、その少ない言葉には表出しないたくさんの想いとかを含んでいる谷川さんの詩は、私は、とても好きだと感じる。

そのことに、「ああ、それでいいんだな」と思えた。
抽象ではなく具体で、でも、その言葉の表層にとどまらないたくさんの情報を持っている、そういう表現が私は好きなんだな、だから私は谷川さんの詩に惹かれるのかなと、なにか、安心できました。

 

▼考えたこと:自分の好きな表現について

同時に今回感じたのは、私はおそらく、そういう、「言葉以上のものを含んでいたり、言葉以上のものに拡がっていく言葉」という表現が好きなんじゃないかな、ということ。

どの展示も、詩という「言葉」を、言葉を使わない方法(リアルな物質だったり、映像と音声だったり、写真だったり)で表現しようとしている様子がすごくエキサイティングに感じてテンションが上がったのは、つまりそういうことに興奮する性質なのではないかなと。

それは、私がマンガという表現が好きなことや、いくつかのミュージシャンの音楽がすごく好きなことにも通じることのような気がしました。
マンガって、「絵」から入る、見る見方ももちろんあるけど、私はあまり「絵」から入ることってなくて(あまり「絵」そのものに対する関心が強くない)、改めて思い返すと、台詞だったりモノローグだったり、そしてそれらが「無い」コマやページだったり、というものを読み込んで解釈することを、私は好んでいる気がします。

少し前までは、私は「物語」が好きで、マンガも音楽も「物語」のひとつの類型として好きなんじゃないかなと思っていたんですが(これは小沢健二が「バズリズム」に出演したときに語っていたことに「あっ」と思って考えていたことだった)、「物語」というより「言葉」が、私の「好き」のコアなのかもしれないなと思いました。

そういえば昔、水戸さんも、「音楽は言葉を言葉以上にしてくれる」とブログで書いていたことがあったっけな。

地球日記:2012年09月03日

そんなことにまで思いを及ばせてもらった「谷川俊太郎 展」。
谷川さんに関心がある人、詩に、言葉に関心がある人には、絶対オススメです。

そうそう、図録(?)の「こんにちは」もとても良かった。
Amazonでも買えますが、会場で買うと、レシートに谷川さんのひとことが付いてきます。

行ける人は会場へ、ぜひ! 

3月25日までの開催です。

谷川俊太郎展|東京オペラシティアートギャラリー

 

2017年を振り返る【マンガ編】

ダラダラしていたら1月も末ですが、今年もまとめておきます。
#俺マン2017 に上げた作品について、個別感想。

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阿部共実『月曜日の友達』

話題作だし、あえて語ることもないという感じですが。
個人的に『大好きが虫はタダシくんの』『空が灰色だから』のインパクトがいろんな意味ですごくて、その後の作品をあまりきちんと追っていなかったんですが、久々に手に取ってみたら思いもよらない方向に進化したというか、裾野を広げていた感があって非常に驚きました。マンガ表現の可能性のひとつが追求されている作品に思えます。

 

売野機子ルポルタージュ』 

売野先生、2017年に出た短編集2点も相変わらずとても良かったですが、「恋愛」そのものをテーマにした近未来SFである本作は、なんとなく新境地っぽい感じがあって注目していました。性とは、愛とは、という問いにも触れながら、抑制された空気の中で静かに静かに進んでいくストーリーの緊張感が心地いい。
連載の継続についてはいろいろあったようですが、移籍の方向で固まったようで良かったです。今後の展開が楽しみ。

 

紀伊カンナ『春風のエトランゼ』

去年は『雪の下のクオリア』を選んでいるんですが、今年も結局このシリーズを選んでしまった。
とにかく綺麗でかわいくて愛おしい時間が流れている作品ですが、「家族とは?」という問いに踏み込んだ最新刊には驚かされました。これから、物語はどんなふうに進んでいくのだろう。
BLコーナー以外の売り場でも展開されていい作品だろうなあ、と思いながら読んでいます。
飯田橋でやってた展示も良かった。

 

石黒正数それでも町は廻っている

祝完結枠というか、お疲れさまでした、ありがとう!の気持ちを込めて。
ミステリ仕立ての作劇、随所に当たり前のように入り込む「すこしふしぎ」な要素、高校生という二度とは来ない時間をいろんな経験を通じて成長・変化しながら毎日を生きる歩鳥たちの生活。それらがすっかり混ざり合った、本当にふしぎですてきで、唯一無二のマンガだったなあ。ずっと大好きです、たぶん。

 

岡田卓也『ワニ男爵』

店頭でたまたま気になって手に取った作品でしたが、これまでに読んだことのない種類の奇妙な読み味が非常にクセになります。
いわゆるグルメマンガっぽい大仰な味の表現は興味深くもそれ自体がギャグ的であり、しかもそれを吟味するのが何故かワニの紳士という設定がもうわけがわからない。そのくせ「シュールなグルメコメディ」で片づけるには妙に抒情的で、なんというか、本当に、不思議な作風です…。好き。

 

入江喜和『たそがれたかこ』

こちらも「おつかれさまでした」枠でもありつつ、完結まで見守れて本当に良かった、良かったね、おたかさん!という気持ちで。
終盤の流れには「そうだったのか!」と驚かされつつも、全10巻を通じて、たかこさんたちの生き様から、いろんなことを学ばせてもらったなあという気がしています。
完結記念のトークライブでも濃い話が聞けてとても楽しかった。

 

 

■川路智代『ほとんど路上生活』

単行本化はまだ先になりそうですが、これは2017しんどいコミックエッセイ大賞だったかもしれないし、2018大賞になりかもしれない。推しておきたいです。川路智代さん。

手塚作品のパロディから出発してまさかの公式作家になったつのがいさんとの同居生活の様子も気になりますが、作品のほうもなかなかとんでもない。
コミックエッセイのレーベルでの連載なので、もちろん実体験がベースなわけですが、なにせ、内容がハードです。この独特の、シンプルでコミカルなんだけどちょっとおかしい、緊張感のあるテンポ、リズム、描線で描かれているから余計にドキドキする。

掲載媒体であるエブリスタ「コココミ」では、ほかに『ねこのとらじの長い一日』『まめしばコ!~の、いっしょう~』『魔夜の娘はお腐り申し上げて』なんかも楽しみに読んでいます(した)。注目しているwebメディアです。

 

■ヨコイエミ『カフェでカフィを』

Twitterで話題になっていたので気になって読んだ作品。
コーヒーをテーマにした小品集、という形式の作品はいくつか思い当たるけれど、それらが短編映画のような種類の完成度を持っていることが多いのに対して、この作品はマンガという形式に対する実験の要素が垣間見えて面白い。
イラストレーション的な洒落た画風だし、発表媒体がメジャーな女性誌ですが、マンガマニア的に興味をそそられる作品でした。

 

雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』

不思議なタイトルに惹かれて手に取った。「倫理の先生」を主人公/狂言回しに据えた教師ものという、とてもユニークな作品です。
教員と生徒のドラマとしてシンプルにグッとくるものがあるし、各話の構成もいろいろ工夫されていて面白い。先生のキャラクターも気になります。
倫理の授業、私も好きだったなあ。

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2017年、個人的にはあまり新しいものにバランスよく目を配れなかった年でした。
今年はもっとアンテナを尖らせていきたいな。

 

://twitter.com/fum_sz/status/947458187191468032