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『窮鼠はチーズの夢を見る』(水城せとな)

窮鼠はチーズの夢を見る    ジュディーコミックス窮鼠はチーズの夢を見る ジュディーコミックス
(2006/01/26)
水城 せとな

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BLと書いてベーコンレタスと読んだのは大亜門ですが
三十路にさしかかろうかといういい大人たちが主人公で、
さらに女性もからんでかなりリアルに「恋愛」という名の人間模様を
描き出しているこの作品をそう呼ぶのは、なんとなく抵抗がある私です。
書店でバイトしてた頃に発売されて、当時飛ぶように売れるのを
横目で見つつスルーしてたんですが、最近なんとなく思い立って購入。
さっさと読まなかったことを後悔しました。

現在、一般的に「腐女子」というと「男同士の恋愛を描いた創作物を好んで
読んだり見たりあるいは描いたり書いたりする人」を指すかと思います。
「ヲタクの女性」をすべて腐女子とみなす向きがあるのには
抵抗がある人も多かろうと。

で、個人的な感覚としては、「腐女子」の中にも、
「二次創作にしか興味がない」「オリジナルにしか興味がない」の
二派が存在し、どっちもいける口の人がいくらかいる…というのが
現状なのかなと思っています。

どうしてオリジナルに興味がわかないのか。
それは単純に、前者の人たちにとっては「男同士が恋愛をしている」
こと自体が好ましいのではなく「好きなキャラクターや人物同士が
仲良くしている」ことを好ましいと感じる気持ちの延長線上に、
既存の創作物や人物たちに対する「萌え」が発生するためだと考えます。
その人物たちの間に自分自身が入りたいという気持ちではなく、
自分はあくまで傍観者の立場で、彼らが惚れたのはれたのするのを
楽しみたい気持ちです。

対してオリジナルしか読まないという人たちはどうか。
彼女たちの「萌え」は、おそらく少女マンガを読んで感じるトキメキの
延長線上に発生するのではないだろうかと考えます。
少女マンガの読み方にもいくつか種類があると思いますが
主流なのは主人公に感情移入し、その恋愛を疑似体験する
やり方ではないでしょうか。

ところが、マンガの登場人物と違って生身の人間は歳を取りますから
いずれ少女マンガにがっつり感情移入することは難しくなります。
そこで、いっそ登場人物が男だったら。
全く異なる立場で行われる「少女マンガ」は、
むしろ普通の「少女マンガ」と違って、ファンタジーとして読めるために
少し距離がおける分、心置きなく感情移入できるのではないか。

自分は前者なので、後者に関しては完全に推測でしかないですが
読者の立場として、妄想の方法としてwまっとうなのは
どちらかというと後者なんだろうなーとも思います。

いきなり長々と腐女子論をぶってみたのは、この作品が、
私が今まで読んでみた中で、初めて二種類の腐女子の「読み方」についての
壁の存在を感じなかった作品だからです。
キャラクター描写に生温いところが一切なく、
主要人物の3人が3人ともとても人間臭い。
それは否応無しに彼らへの感情移入を誘います。
一方で主人公二人の関係性なんかは十分に物語として美しくちょっと退廃的で、
うっとりと眺めていたい気持ちにもなるわけです。
こういう種類のマンガは新しいと思います。

「男同士」という要素なしには作りえないドラマチックな関係が活かされた、
BL新時代の旗手となり得る作品・・・というのは言いすぎか。
ただ、これからこういう作品を描ける作家が増えると、
腐女子」の定義もますますあいまいなものになるんだろうなあ。
もうマンガは成長しきってしまって、現状以上に表現として
伸びしろはないと思っていたけれど、BLはちょっとした伏兵かもしれません。