バンブツルテン

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蔦Q雑感

「蔦Q」が魅力的なアルバムである理由の一つは、
凍結前と同じ、おそらく「月光蟲」のときと同じくらいの
「力の抜き加減」でもって制作されているからではないかなあと
なんとなく想像しています。

「新人」からは、とにかく再始動1枚目であるという気負いを感じました。
かつてのファンに「久しぶり!8年前はごめんね!またよろしく!」と
挨拶をしているような、そんなアルバムだと。

「シーズン2」からは、「再始動2枚目」という事態に対する気負いを感じました。
復活をぶち上げて、ライブやって新譜1枚出して、
それで終わりじゃないんだぜ!と。
まだまだやっていくんだぜ! 俺達は前に進むんだぜ!と。
その勢いでちょっとつんのめり気味というか、
まあ有り体にいえば「筋少らしくない」アルバムだったかもなあと、今は思います。
個々の楽曲のクオリティはものすごく高いし、
メンバーのモチベーションの高さも凄い。
だけど、「筋少の作品」として聴いた時に、
一抹の物足りなさはあったかもしれないと。

「蔦Q」からは、復活した「筋肉少女帯」というバンドを大事に思い、
ファンにとって筋少がどういう存在であるかということを誠実に意識し、
それを大前提に置きながらも、
あくまで自分たちがやりたいと思う音楽をやる。
そのバランスがすごく良くなったのを感じるのです。
活動方針を云々する段階から抜け出し、
22年前から続いてきた筋少の15枚目のアルバムが出ましたよ、という雰囲気がある。
タイトルから「復活」を感じさせる要素がなくなったせいもあるかもしれません。

オーケンは「新人」「シーズン2」「蔦Q」で復活三部作、と言ったけれど、
個人的には「復活」というくくりで語るのは
「新人」「シーズン2」の2枚だけで良いんじゃないかな、と。

「復活」についてわざわざ語る必要がない時期になったという、
とっても喜ばしくて嬉しくて、素敵なことだと思います。

16枚目のアルバムも楽しみにしながら、今日も蔦Qをヘビロテです。