甲虫の足跡をゆるく辿る〜英国ロンドン・リヴァプールの旅(3)はるばる来たぜ港町!リヴァプール巡礼まずはお車での巻
2012/12/31
2日目、大晦日、ニューイヤーズ・イブ!
この日は、この旅のメインともいえるリヴァプール・ビートルズゆかりの地めぐりへ!
リヴァプールへの列車が出ているターミナル、ユーストン駅へ歩いて移動。
自動券売機で往復券を買い、待機。
自分が乗る列車が何番線から出るのかは、電光掲示板で案内されるまでわからない。
列車は日本の新幹線と雰囲気は似ていて、ファーストクラスとスタンダードクラスに分かれており、
途中でゴミ回収や車内販売が回ってきます。
車窓風景は、ひたすら牧場。
草を食むヒツジたちを眺め続けるのもさすがに飽きてきて、音楽聴いたりうとうとしたりの2時間半。
リヴァプール・ライムストリート駅へ到着!
この日は、スカウス・ハウスさんのツアーに申し込みをしました。
あいにく通常の日本人ガイドさんによるツアーは都合がつかず、
タクシーでリヴァプール郊外のゆかりの地を回るFABCABツアーとマシュー・ストリート周辺を
歩いて回るキャバーン・ウォーク・ツアーに通訳さんが付く代替ツアーとなりました。
FABCABツアーで今回担当してくれたガイド兼運転手のブライアンさんは、
映画ヘルプ!に出てくる二人の科学者のうちの太っちょのほうのいとこだそうで。すげ!
リヴァプールにある二つの大聖堂のうちのひとつ、メトロポリタン大聖堂。4つの鐘が外についています。
こういう様式の聖堂は非常に珍しいそうで、一見宗教建築物っぽくないくらい変わった外観。
4つの鐘にはそれぞれ名前があるらしいですが、
地元のビートルマニアはもちろん「ジョン・ポール・ジョージ・リンゴ」と呼ぶそうです。
ジョンが産まれた病院。
ジョンやステュが学生時代によく飲んでいたパブ。
ジョンが通い、ステュアート・サトクリフと出会ったアート・カレッジと、
ポールとジョージが通っていたリヴァプール・インスティテュート。
隣にあったのねー。
ジョンは乗り気ではなかったけど、ミミおばさんに無理矢理通わされていたんだそうです。
ジョージは勉強はいまいちだったけどポールは優等生で、成績優秀賞みたいなのを何度も受賞したそうです。
リヴァプールが輩出した偉人たちを象徴するものが積み重ねられたオブジェ。
ジョン、ポール、ステュのギターケースがある。
ジョージのは盗まれてしまったそうです。リンゴのはない…
現在は、近くにポールの学校があり、毎年卒業生はポールから卒業証書をもらえるそうです。
ちなみにこの一帯はポールが買い上げてあるそうで、さすがの財力。ありがたいことです。
リヴァプール大聖堂。メトロポリタン大聖堂とはホープ・ストリートという大通りでつながっています。
車内からだったのでいい写真が撮れなかったのですがすごくでかい。登ってみたかったなー。
ポールはここの聖歌隊のオーディションに落ちたことがあるそうです。
リンゴのお母さんが働いていたお店。
「センチメンタル・ジャーニー」のジャケットに使われてた所です。
リンゴことリチャード・スターキーが産まれてから5歳まで住んでいた家。
労働者階級の貧乏長屋で、当時はバスルームも共用。
両親の離婚ですぐ近くに引っ越したリンゴは、この家のことはあまり覚えていないそう。
世界各国から訪れるファンの落書きでいっぱいのこの長屋は、何度も取り壊しの危機に瀕していて、
いまも取り壊し反対派の人が1人だけ住んでいるそう。「Save Ringo's home」はそういうわけ。
向かいの壁に「BEATLES」の文字がありますが、
これはリンゴのお父さんがやった説やファンがやった説があるそうです。
で、こちらが5歳から住んでいた家。
やはりバスルーム共用の長屋です。リンゴが住んでいた部屋はピンクに塗装されています。
通訳さんは、この部屋からリンゴが出てくる映像を見たことがあると言っていました。
リンゴは病弱であまり学校には行けなかったのだけど、
誕生日パーティーには、この狭い家に62人もの友達がお祝いにやってきたとか。
誰からも愛されるリンゴらしいエピソード。
移動して、今度はペニー・レインへ。
ペニー・レインは長い通りで、ここはその始点。
看板は何度つけても盗まれてしまうので、直接描いちゃうことにしたという。
このあたりは「静かなペニー・レイン」で、曲で歌われている「にぎやかなペニー・レイン」に続きます。
少し走ると、「にぎやかなペニー・レイン」に到着。
かつて銀行だった。
ここは今でも床屋さんです。
ここにも教会が。
ポールはここの聖歌隊で歌っていたそうです。こっちには入れたのねw
今度はジョージの住んでいた家へ。
スターキー家同様の長屋です。
ここから取って、ジョージは「ARNOLD CROVE」を偽名として時々使っていたそう。
バスルームは共用でセントラル・ヒーティングもないこの家では、
キッチンのコンロの前が一番温かい場所だったとか。
移動して、ジョンがミミおばさんと住んでいた家へ。
ここはナショナルトラストに管理されていて、普段は中には入れません。
ドアの上がジョンの部屋。
クラシック音楽しか聴かなかったミミおばさんは、
ジョンに玄関とその奥のドアの間でしかギターを弾くことを許さなかったそうです。
この家に面した通りで、ジョンの母ジュリアは交通事故で亡くなりました。
しんみりムードから一転、今度はジョン率いるクオリー・メンのライブをポールが観に来た、
二人の出会いとなった運命の教会へ。
この教会の敷地内に、エリナー・リグビーとマッケンジー牧師のお墓があります。
お墓の近くに、当時は広場のようなスペースがあり、そこでクオリー・メンはライブをやったんだそうです。
ストロベリー・フィールズへ。
ここで、リヴァプール名物マジカル・ミステリー・ツアーバスとかち合ってしまいました。
写真を撮るのに一苦労。
MMTバスツアーは迷った末に今回はやめておいたのですが、
世界各国のファンが集まってあのバスで移動するのもやっぱり楽しそうだったなー。
ブライアンさん「このバスより先に次の目的地に着きたい」とのことで、車を飛ばします。
次の目的地は、ポールの家。
赤く塗られているのがマッカートニー家の敷地。
ここもジョンの家同様、ナショナルトラストの管理下にあります。
ジョージ、リンゴと比べるといいお家のお坊ちゃんだったポール。
ポールのご両親は、ポールが酒臭くガラの悪いジョンやジョージと仲良くなることを
よく思ってなかったみたいです。
玄関のドアの真上がポールの部屋でしたが、後に弟のマイクと替わります。
以上で、FABCABツアーはおしまい。
マシュー・ストリートでキャバーン・ウォーク・ツアーのガイドさんと待ち合わせ。
ブライアンさんとはここでお別れ。ありがとうございました!