「Future!」(筋肉少女帯)―「普通」に憧れる誰かに捧ぐ
筋肉少女帯18枚目のオリジナルアルバムにして、「最後の聖戦」以来20年ぶりのオリジナル曲のみで構成されたアルバム、「Future!」が発売になりました。
個人的にだいぶ衝撃的な1枚だったので、
感想と、勢いでいろいろ考えたことを書き殴っておきたいと思います。
▼1曲ごとの感想
1.オーケントレイン
1曲目は、過去にとらわれるな、未来へ進もう!という曲。
足を引っ張っているのは過去の自分なんだよ、という曲。
過去に執着している不安で不安でしかたない我々を列車に乗せ、恐ろしい記憶の森から連れ出してくれるオーケン。
それでも運命共同体的な押し付けがましさはなく、途中下車する人を引き留めはしない、ある意味でドライなところが「らしい」と思います。
ファンキーなリズム、明るくて元気がよくて、なんというか、やけくそなんだけど、健康的なやけくそさ…みたいな印象。アルバムのオープニング、そして「出発!」ということで「レティクル座行超特急」を連想するけれど、列車が向かう先が妄想と電波うずまく世界だったあのときとは、ベクトルがはっきりと異なる。
かといってただ無邪気に前向きなわけでも決してなく、そこには確実に、「いずれ死を迎える」という現実が、厳然としてある。筋少的な、オーケン的な、前の向き方。
2.ディオネア・フューチャー
非常に肉体的な、官能的なところすらある歌詞であると思います。
それは、「官能植物」にインスパイアされたという、ジャケ写のディオネア=ハエトリソウからのイメージかもしれない。
前向きでマッチョな「メッセージ」と、それを素直に受け入れられず、抗おうとする声の応酬。過去にとらわれて前に進めない誰かなのだろう。
やがて抗うのをやめて、ディオネアの中に溶けていく、その先は果たして未来なのか?
つまりやっぱり未来は死で、永遠で、来世なのか。
作曲はおいちゃん。「オーケントレイン」もそうだけど、これは特に、おいちゃんの楽曲としては新機軸だなあと感じる。
インタビューによると、これと「サイコキラーズ・ラブ」は前作「おまけのいちにち(闘いの日々)」の候補曲だったという。
スランプの時期があったと確か言われていたと思うけど、それを経て、「おまけのいちにち」以降、おいちゃんは何というか、ひとつ違うステップに移った感があるような気がします。
3.人から箱男
筋肉少女帯「人から箱男(筋少×カラオケDAMコラボ曲)」(short ver.) 2016年10月26日(水)発売
唯一の既発曲。ここに挟まってて違和感がないのは、前へ前へと向かおうとするエネルギー感がアルバムにハマっているからなんだろうな。コンパクトに筋少ハードロックをやっている感じだけど、作ったのがおいちゃんというところがミソ。橘高メタルとはやっぱりちょっと違う。面白いです。
4.サイコキラーズ・ラブ
愛し合うとかわからない、人の痛みを感じない。やさしさとかはわからない。さびしさだけはわかる。そんなサイコキラーふたりのラブソング。
個人的に、これは「告白」にも通じるところなんですが、自分の性格が人より冷たい、ドライであるという自覚があって、それによる劣等感もすごくありまして。
「サイコキラーズ・ラブ」を聴いたときに泣いてしまうのは、猫とか犬とか手にかけるようなことはもちろんしないけれど、そういうところにすごく共感してしまうから。
アコースティックで通せば、ある意味で歌詞の悲しい美しさと非常に整合性が取れるのに、後半からピアノとギターの音色、刻まれる静かなリズム、コーラス、畳みかけるサビ、そしてハンズクラップ!
ここまでポップでかつ落ち着いていて美しい曲は本当に筋少でも随一で、これにこの詞が乗っているのが、もう、本当に、筋少でしかないなと思います。リリース前に繰り返し披露されたのも、「これは筋少しかできない」という確固たる自信のあらわれだったのだろうな。
ずっと一緒に生きていこうと思える相手がいるなんて、それはもう愛なんじゃないだろうか。
この2人は、とても幸せなんじゃないだろうか。
愛とか恋とか、わかんないけどさ。
5.ハニートラップの恋
今回のアルバムでは救いになる軽さ…と感じました。ザ・内田GS。
冷静に考えれば十分何だこれはソングなんだが、ほかの曲がパンチがありすぎて、
箸休め的な印象。それがちょうどいいです。「生まれかわれたら普通に恋したい」というのが、アルバムのテーマに絡むところかな。
6.3歳の花嫁
メメント・モリな、死を思うオーケンのストーリーソングはいくつもあったけれど、ここで歌われている「死」はとても生々しい。
ひとフレーズひとフレーズがグッサグサに刺さって、何度聴いても泣いてしまう。
明るくポップな曲調に悲しい、切ないストーリーという取り合わせはある意味で定番の、ベタなやり方ではあるんだろうけど、普通のバンドはやんないよコレ、というワードのチョイスや音の使い方がキレッキレに冴えていると思います。
アンパンマン、QUEEN、そして「永遠も半ばを過ぎて」と、引用もピリッと効いている。
ところでこの歌詞、身近に小さい女の子がいると想像しちゃいませんか。
つい姪っ子のことを考えながら聴いてしまうんだよなあ…。
7.エニグマ
筋肉少女帯「エニグマ」MV (2017年10月25日発売AL『Future!』収録)
意味があるようでないような言葉の羅列、気がふれたようなオーケンの歌い方、展開に次ぐ展開、転調、変拍子。
一発録りと知り驚いたが、たしかに、逆にライブに近い形じゃないと録りづらい曲なのかもしれないなあと思った。
これ、MVが公開されたときはちょーーーやべええええってなったんですが、アルバム通して聴くと、なんというか…アルバム自体のインパクトがものすごくて、結果的にこの曲のインパクトは少し中和された。
思いっきりプログレかつハードでテクニカルな演奏、そして謎の歌詞と語り。
いまの筋少の代表曲を1つ挙げるとしたらこれが良いのでは、という曲になっている気がしました。これがピンと来るかどうかが、一種のリトマス試験紙みたいな。
8.告白
アルバム随一の(…っていうのがいっぱいある気はしつつ)衝撃を与える1曲。
うっちーは飛び道具ポジションではあるけれど、今回はもう、道具の飛び方が半端じゃないですね。内田流80年代テクノポップ、ヒカシュー感もある。
その曲に乗せて語られる、ある男の心情吐露。「普通」ではない自覚を持ちながらどうにか「普通」の人に合わせて生きている、「普通」であることに焦がれる心。
個人的に、やはりここでも、ひとつひとつのフレーズにすごく共感してしまう。
そして、
「けれども君のことだけは 大好きだよと言えば いかにもな歌にもなるし 君もうれしいだろう」
これが、ものすごく鋭い自己批判だと思っていて、だって今までの筋少はこういう歌を歌ってきている。(「人間嫌いの歌」とかね)
ここに「告白」というタイトルの真意が見えるような気もするし、「ついに言ったね」みたいな感すらある。
9.奇術師
今回のアルバムはとにかく橘高さんの色が薄まったなぁと思っているんですが、ここで泣きのギターインストという形で橘高イズムが全開になっているのが、ちょうどいいバランスなんだろうな気がしました。筋少としたらある意味新しい。
「告白」と「奇術師」が、アルバムの両極であると同時に、筋少の音楽の端と端かもしれないな、と思いました。並べて配置されているのがまたおかしい。
10.わけあり物件
こちらは、「ハニートラップの恋」と同じ「安心枠」。クライアントありきのタイアップ曲だったということもあり、「おわかりいただけるだろうか」にも通じるオカルト路線。最後から2曲目という位置に収まっているのも含めて、ホッとさせてくれます。ホッとするような歌じゃないのにね。笑
11.T2(タチムカウver.2)
こじらせたルサンチマンの歌だった「タチムカウ~狂い咲く人間の証明~」が、20年を経て、ものすごくエネルギッシュで健康的な歌に生まれ変わりました。
もちろん原曲を踏まえてか、「やつら俺ら見下してる」という歌詞が入ってはいるものの、そこに大してこだわっていない感じがすごくいいなと思います。
リリース前に聴いたときは、おいちゃん曲かな?と思っていたけれど、橘高さん曲。なんとなく、こういう曲も作るんだ!という発見というか驚きがちょっとありました。でも、結構橘高さんて作る曲にバリエーションあるよね。「別の星の物語り」とかもあるし。
しかし、インストの「奇術師」、軽めの「わけあり物件」、そしてやや異色な「T2」で、今回、本当に、つくづく「THE・橘高メタル」な色が薄い。
私も「タチムカウ~狂い咲く人間の証明~」を大事に大事にしてきた1人ですが、入江選手と一緒に、自分の中のその位置に、この曲を置き換えたいと思っている。
結論は、タチムカウ。異議なし!
▼まとめ
今回のアルバム、今までの筋少の音源とはハッキリと異なる印象があって、その正体は何だろうか?といろいろ考えていました。
で、まずひとつ大きいのは、「過去の記憶への執着こそが苦しみの根源なのだから、それはもう絶って、未来に向かおう。そして、その『未来』は、どんな精神的マイノリティにも用意されている」というメッセージが前面に打ち出されていることではないかな、という考えに至りました。
筋少においてアルバムごとの世界観やテーマを考え、提案する役割を担っているのは作詞者でもあるオーケンなわけですが、これまでのアルバムで、その「テーマ」が、オーディエンスに向けた「メッセージ」であったことって、なかったんじゃないかと思うんです。
(強いて言えば、エキセントリックな感情を持つ少女たちに向けて詞を書いたという「エリーゼのために」には少しだけ近いかもしれない。『筋肉少女帯自伝』より)
あえて断言しますが、筋少のことが好きで好きでしょうがないような人は、たいてい何かしら「うまくやれない」劣等感、人としてまともじゃないような欠落感を抱いていると思います。多かれ少なかれ。
「サイコキラーズ・ラブ」や「告白」で歌われているようなことじゃなかったとしても、何かしら、世の中に対してズレとか、ままならなさを感じている。自分が「人間モドキ」なのではないかという不安、もしくは確信を抱いて生きている。
そういう意味でさらに断言しますが、やっぱりオーケンは、そんな私たちにとって
「この人あたしをわかってる、あたしの心を歌ってる」存在であり続けるんです。
そんな私たちに向けて、はっきりと「未来へ向かおうぜ、乗せてってやるから。向かう先は死かもしれないけれど」と歌ってくれたことの新しさ。
これがまずひとつ。
次に、冒頭から提示される、その「執着が苦しみの根源である」という結論。
筋少と特撮の両方を追っている人であれば、「Future!」というアルバムタイトル、そして「オーケントレイン」の「苦しみの根源は執着です」という語りからは、2016年2月にリリースされた特撮のアルバム「ウインカー」に収録の「荒井田メルの上昇」を想起せざるをえないわけです。
www.utamap.com少女・荒井田メルが、バイク事故を経て突然「ザ・フューチャー」を名乗り、「執着が我らの苦しみ、根源」であり、「恋するパワーだけが未来を生き抜ける根拠」であると語り出す。
「ウインカー」というアルバム自体には、大きなメッセージ性みたいなものは与えられていないように思うけれど、この時期にオーケンはこういう「結論」を得ていたのかな、なんてことを考えます。
「踊るダメ人間」とか、「戦え!何を!?人生を!」とか、「銀輪部隊」とか、あるいは特撮のいくつかのアジテーションソングや「さよなら絶望先生」絡みの楽曲とかで、オーケンはたびたび「それでも生きていかざるを得ない」苦しみを歌ってきているけれど、そこにはいつも「自分を追い立てる何か」や「自分をないがしろにする誰か」のような「敵」がいた。
「おまけのいちにち(闘いの日々)」の「時は来た」で歌われる「敵はどこ? 敵は誰? 最初にわかっとけ」というフレーズに、私は「本当は存在しないかもしれない敵に、ひとりで立ち向かっている様の滑稽さ」が歌われていると思っていたんですが、それがついに「敵は過去や思い出に執着する自分自身なんだよ」という結論をはっきり提示する形に変わったんだなあ、と思いました。
これがふたつめ。
(ところで、個人的に、特撮の「パナギアの恩恵」と筋少の「おまけのいちにち(闘いの日々)」、特撮の「ウインカー」と筋少の「Future!」の、聴いたときの印象がとても近かったです。前者には「変わりつつあるなにかへの戸惑い」を、後者には「進化への感動」を覚えた、という点で)
そして、オリジナルメンバーである我らが内田雄一郎氏の存在感の大きさ。
前作「おまけのいちにち」の時点で内田さんは「時は来た」「S5040」「夕焼け原風景」の3曲を提供していて、近年の作品には珍しく、かなりアルバムにおいて存在感を持ってはいた。それが、「おまけのいちにち」を一風変わった作品にしていた要素ではあると思うんですが、この3曲はどれも比較的長尺で重めの曲という意味で共通していて、しかもアルバム終盤にまとまって置かれていたので、「んっ!?」みたいな驚きはあまりなかったんですよね。
それが今回は、思いっきりバラエティに富んだ3曲が、しかもアルバム中盤に配置されている。そして「エニグマ」はアルバムのリード曲に抜擢され、「告白」にはバンドの存在意義にも近いような重要な歌詞が乗ることになった。
なんというか、うっちー、ノッてるなあ! みたいな印象です。
オーケンが近頃やたらと「内田くんがカギになる」と語ってきたこととか、ソロ活動やその他いろいろなバンド活動とか、きっとまあ、いろいろきっかけや要因はあるんでしょうが、結果的にアルバムを支える、バンマス的な存在感がうっちーに宿っている気がしました。
それによって、おいちゃんと橘高さんの、今までとは違うアプローチもより活きているのかなあ、と。
そしてそして、そんなふうに、今まで(最近)のアルバムとは明らかに違うにもかかわらず、むしろ、だからこそなのか、めちゃめちゃに「筋少らしい」アルバムになっている、ということ。
筋少らしさとは何ぞや、というときに考えるのは「バラエティに富んだ音楽性」であり、「オーディエンスが参加して全力で楽しめるライブのエンタテインメント性」であり、「歌詞や語りの独特な世界観」であり、「オカルト」「プロレス」といった音楽以外のサブカルチャーへの親和性であり…といったところになるかと思うんですが、今回、たまたま入江選手への提供曲が含まれたというタイミング的なミラクルなんかもあって、それらすべての要素がこれでもかと全部入れされているアルバムになっていると思うんです。
バンドの個性が200%発揮されているうえに、これまでのアルバムとは明らかに違うことをやっているんですよ。
こんなん最高じゃないですか。
「人間モドキ」たちのための名盤がここに爆誕してしまったなあ、と、今あらためて考えてみて、しみじみ思いました。
最終的に何が言いたいかというと、
普通じゃない自分に悩んでいる奴はみんな筋少を聴けばいいよ!ということです。
生きるのがうまくない自覚があって、なにがしかの救いを求める層が最初にアクセスするのに、とても良い作品になったのではないかと思います。
ここまで読んでいるような人はたいがい、こじらせた筋少ファンというかマニアであろうなとは思いつつも、もし万が一、筋少に興味を持っているけどまだ聴いたことがない…くらいの感じの方がいらっしゃるのであれば、声を大にして言っておきます。
とりあえず「Future!」、聴いてみてください。
そして、ライブに来てみてください。
これが、「Future!」を聴いて私が言いたくなったことのすべてです。
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アルバムが出てからずーっとぐるぐる考えていたことをやっと吐き出せてスッキリしました。
ツアーが楽しみだなあ、本当に。
結論か? 結論だ! 異議なし!