バンブツルテン

観たり読んだり聴いたり行ったり考えたり

いま思うこと

まるでフィクションのような状況に全世界が放り込まれている昨今、いかがお過ごしでしょうか。

私は外出しなくてよい日は基本的にひきこもり、休日は音楽を聴きながら積読を消化したり、配信や円盤で映画や舞台やライブの映像を観たり、調べものをしたりして、けっこう楽しく過ごしています。

ちょっとインプット過多気味だなということもあり、こうなってだいたい1ヵ月が経って、なんとなく今よく考えてしまうことを書きとめておいてみようと思いました。

以下は、最新情報にそこまでがっつり食らいついていってはいない、本当ならライブや映画を観に行くのが好きな人間の思考というか、妄想です。

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海外では経済活動再開の動きが見られるようになってきた。

日本でも、長期にわたる「行動変容」が求められてはいるけれど、なんとなく、リスクの高い世代以外は「注意を払いながらできるだけ経済活動を再開させる(もともと止まってはいないけど)」ことが現実になっていくのではないかなあと感じている。

ごく個人的なざっくりとした感覚だけれど、自分がいま特に「行きたいのに、行けない」ことになっている場の中では、

・飲食店
・映画館
・書店
・美術館、文学館、図書館

このあたりは、おおむね、わりと早い段階で、営業再開されることが許容されていくのではないかなと感じている。
予約制にするとか、入場人数の制限や席の配置変更とか、そういうことが有効だろうし、いわゆる「密」なコミュニケーションがなければなりたたない場ではない。
最後の項目については今日、記事も出ていました。

this.kiji.is

そして、これを考えるのはほんとうにつらいなとは思うのだけど、

・ライブハウス
・劇場

これらが営業再開できるのは、かなり遠い未来なのではないかと感じている。
演劇もライブも、演者同士はもちろん、演者と観客や、観客同士も含む、いろんな意味で「密」な接触をすることが前提の表現なので。

(ということはつまり、その文化そのものの危機だということで、音源や、演者間で距離をとってのパフォーマンスや、配信などに対してまだハードルが低い音楽と違って、演者同士が近距離にあることが通常避けられない・配信(映像)にしてしまうと表現自体が別物になりかねない演劇に携わる人の危機意識が強いのも、さもありなんという感じだなあと思う)

じゃあどうなるのか。

新しいシステムを活用した「新しい方法」「新しい表現」の模索はたぶん続いていく。配信もだし、VRとか、そういう技術がたぶんどんどん進んでいくだろう。

その中で、これまで私たちが親しんできたライブや演劇の表現は、いったん「過去のもの」になっていく可能性があると思う。

でもそれはあくまで「いったん」であり、いつの話かはわからないけれど、いつか事態が収束したら、きっと人々はまた、リアルの場を強く求めるだろうとも確信している。

つまり、ライブや舞台が「未来に必ず復活する過去の文化」になっていくということ。

そう思うと、なんかすごく不思議というか、SFめいているというか、ちょっとだけワクワクもする。コールドスリープ感あるなあと。
自分がいま、観たくてしかたがないライブや舞台は、観られないままになってしまうかもしれない。それを思うと悲しいけれど、文化そのものが、いつか蘇生させられる日まで「保存」されるのは、ちょっと面白い気がする。

そのコールドスリープの間に文化そのものが忘れ去られ、死に絶えてしまわないように、なんとか持続させていかなければならない…という話に、結局はなる、わけですが。

この気休めのようなワクワクを素直に受け入れるためにも、表現をしてくれる人たちとその周辺が、必ず守られていってほしいと強く思う。

…まあ、その前になにか劇的な展開があってあっさり解決する、そんな未来が訪れる可能性だってゼロではないしね。

無理に楽観はせず、でも悲観もし過ぎず、なるようにしかならない現実を歩いていくしかない、と思っています。

おわり。