バンブツルテン

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うしなわれた推しを求めて(或はすかんち&筋少創業40周年大感謝祭を経て)

2022年8月12日(金)「すかんち筋肉少女帯創業40周年大感謝祭」@Zepp DiverCityに行きました。

このタイミングで、あれからのすかんちと自分、を整理しておきたい、というだけのメモ。

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■転校、禍、渦、鍋、の2019~2020

ドクターが「転校」したのが2019年の秋。
今はなき下北沢GARDENで「転校パーティー」が催されたのが2020年1月。
ほどなくして世界は禍、渦、鍋の時代に突入。
LOVE ME DOさん主催の追悼ライブも中止となり、直前のタイミングで無事に「転校パーティー」が開催されたことに感謝しつつ、そもそも「ライブ」というものとディスタンスをとらざるを得なくなった。

■「令和のすかんち」始動

2020年9月、ROLLYデビュー30周年企画の一環として、10月に「すかんち」のライブが行われることがアナウンスされた。

 

EXシアター六本木、筋少の2020年1stライブの前日。
情勢的には、たしか、少しずつ各ジャンルでイベントごとが再開されつつあるタイミング。
なのでそういう意味での心理的ハードルは低かった。
のだけど、とても迷った末に、私は配信のみで視聴。

この「令和のすかんち」最初のコンサートのことを、正直あまりよく覚えていない。

それはそもそも配信視聴を選んでしまったためでももちろんあるが、客入れ中のSEとして使われていた過去のライブでの歓声の中に「ドクター!」コールが飛び交っていて、始まる前からなんかダメージを負ってしまったことで、つらい感情が強く印象として残ってしまったためだった。

すばらしいサポートおふたりを加えた今のすかんちを、曇りのない目と耳で受け止めることができないコンディションだったと思う。


■しまちゃんねる、そして2021年

Shima-changYouTubeチャンネルが開設されたのが10月。
「転校」から1年が経ち、しまちゃんねるSTAFFさんのツイートで、ドクターのYouTube準備中だったことが明かされる。

www.youtube.com

 

すかんちが積極的に動いていなかった時期、The MANJIのゲストに出た時だったかな。
「友達のYouTubeに曲を作っている」みたいなことを言っていたっけなあとか、突然Twitter始めたのもそれがあったからだったのかなあとか。
きっとゆかいなYouTuberになっていただろうなと思って、とても残念にも思いながら、なんだか微笑んでしまったのだった。

そして2021年6月、夏に「すかんち」のツアーが行われることが発表に。

迷いながらも、川崎公演のチケットを私はとっていた。
…のだが、情勢はデルタが猛威を振るっていた第5波のさなか。
最終的には、チケットは確保しながら会場に行くことは見送ってしまった。
配信チケットも買ったのに、なんとなく観られないままだった。


■そして2022年の対峙

2022年5月、筋少との対バンが発表される。

前回のすかんちのライブを「なんとなく観られなかった」ことで、私は「令和のすかんち」を受け止められるようにはなっていないのだろうという自覚があって、もうこのまま、すかんちをライブで観ることは、なくなってしまうかもしれない、と思っていた。

ただ、ドクターのいない「すかんち」を受け入れたくない気持ちがある一方で、Shima-changを応援したい気持ちも、とても高い位置でそれと拮抗してもいて、それがまた苦しかった。

なので、否応なしに観るしかない、「筋少との対バン」というシチュエーションは、とてもありがたい、と思った。

けれど、当日までの間には、結構揺らいでもいて、最終的には、「すかんちを観る」とは思わないようにしよう、みたいな意識に落ち着いていた。

 

迎えた当日。先攻は筋少
イベント用ド定番セット+、時事ネタ絡めての「僕の宗教へようこそ」と、この夜にふさわしい「愛の讃歌」、という最高なセットリスト。
そして秋のリリースとツアーの告知…ということで、とにかくひたすらにハッピーな、まさに「楽しいことしかない」心境で転換へ。

 

そして後攻のすかんち
結局、そのステージ中、私は7割くらいの時間は、元気に腕を振り上げ手拍子をしながら、泣いていた。
こちらもイベント用のキャッチーでポップな曲ばかりのセットリストだったのだが、そのどれもが、ドクターのいるステージを観た、聴いた記憶が、しっかりと残っている曲だったので。

コースケくんの鍵盤にはたしかに、文明さんの遺伝子とともに、ドクターのフレーズも息づいていた。
けれど、それでも、「いない」ことはひたすらに、意識させられてしまった。

「創業40周年」の晴れがましい場に、どうして居ないのだろう、と。

すばらしいパフォーマンスでとても楽しくて、楽しくなればなるほど悲しくもなって、結局涙が止まらなくなってしまった。


やがて、ひたすらにたのしいセッション2曲でこの大感謝祭は閉幕。
めちゃくちゃな感情のまま会場を後にしたのでした。


■一夜明けて

翌8月13日は、ここに書いていることを自分の頭の中で整理(?)する時間になった。
音源を聴きながら、アメイジングすかんちDVDを見て泣きながら。


これはたとえば「太田さんが居ない筋少筋少とは認めたくない」みたいなことにとても近いのだろうとは思うのだけど、決定的にちがう点がひとつあって、それは「当人の意思に反する形で、絶対に何があっても二度とあの編成でのパフォーマンスを観ることは叶わなくなってしまっている」こと。

だからこそ、バンドが歩みを止めないのであれば、それは違う形になる必要があることは、とてもわかる。

寂しくてしかたがないのは、その新しい形が「ドクターの居なかったすかんち」がベースになっているように思えてしまうことだった。

ドクターは4th「OPERA」を最後に一度脱退していて、すかんちにはドクターがいないその後の2枚のアルバムの時期があって、物理的にはその体制に戻っている、と考えれば、バンドにとってそれはたぶん、さほど不自然ではないことだろうと思う。
そしてそのことがとても、寂しかった。

「恋のT.K.O.」も「恋人はアンドロイド」も(ワンマンでは演っても、イベントでは)演らない、という構成も含めて、「令和のすかんち」は、彼の残したものを必須にはしていないのかな、と思ってしまった。
いやもちろん、逆に、大切だからこそ、安易に扱わない、という姿勢なのだということかもしれないし、もしそうなら、ドクターのいるすかんちのファンだった人間に、こんなふうに思われてしまうこと自体が、バンドにとってはとても不本意だろうとも思うけど。

でもだって、「令和のすかんち」のパフォーマンスは、あまりに洗練されている。

(この違和感は、私が初めて後期すかんちの音源を聴いた時に抱いたものに似てもいる)

その美しくまとめあげられた演奏がすばらしいなあと思う一方で、この洗練をかき乱す存在こそが、自分がすかんちに感じていた最大といってもいい魅力だったことを、あらためて、まざまざと、認識してしまった。そして、その存在が戻ってくることは、二度とないことも。

 

■今のきもち

さて、散々めそめそしておきながら、今は、「このままで居たくはない」という気持ちが、強くあります。

それはひとつには、やはりShima-changの存在があるから。
がんばっているShima-changを久しぶりに目の当たりにしたことで、そこをすごく刺激された感は大きい。

そして、「令和のすかんち」の100%を、私はきちんと記憶できていないから。

気になって改めて確認してしまったが、私がまともに体験も記憶もできていなかった「令和のすかんち」ワンマンでは、「恋のT.K.O.」も「恋人はアンドロイド」も、演っている。そして私が立ち止まってしまっている間に、しっかりそれを受け入れ、敬意をもって楽しんでいるオーディエンスが、存在する。

私も、できることなら、そうなりたい。悲しさを凌駕するほどに楽しめるようになりたい。

きっとそれこそが、最高に理想的な状況であるはずだから。

そのためには、その意識を持って、生で、今のすかんちのフルライブを体験するしかないのではないかな、とも思っている。


秋のツアー、どうするか、まだ今は、迷っています。

 

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なんにもまとまっていないが、吐き出しておかないとスッキリしない気がしたので、とりあえず、メモとして。
いちいちダメージを負い過ぎないようになっていきたいな。

#すかんち