バンブツルテン

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三浦沙良さんのこと

私は筋少(というかおいちゃん)がきっかけでTwitterを始めたけれど、当初はマンガの話や、マンガ読み仲間との情報交換のために主に使っていて、Twitterユーザーとしてのスタンスも「マンガ好き」がメインだった。リトルプレス『大島弓子の話をしよう』も、それを手掛けた方が筋少ファンだとは知らずに、一読者として読んでいた。

だから後に、主にファン仲間との交流用に分離したアカウントで「『大島弓子の話をしよう』みたいな筋少の本を作りたい」となにげなくツイートしたら、彼女が「作りますか?」とリプライをくれて、とても驚いた。
彼女との最初の「会話」は、おそらくそれだった。もしかしたら、この時にフォロー返しをしていただいたのだったかもしれない。

ちなみに私はこの時より3年ほど前に5年間お世話になった会社を辞め、別の畑だった編集プロダクションに転職していたのだが、その選択をした動機のひとつは、「筋少の本を自分で作れるようになれたらいいなあ」だったりしたのだった。
その時はもちろん商業出版物としての発行を念頭に置いてはいたのだが、ZINE、リトルプレスという形でも、むしろそのほうが幸福な形にできるのではないだろうか、ということを、『大島弓子の話をしよう』を読みながら考えていたところでの、このやりとりだった。

発信力のある彼女に対して私は一読者、一ファンでしかなかったし、編集・ライティングの実績も作れてはいなかったので、彼女としては、思いやりというか、お気遣いで声をかけてくださったのかもしれない。それでも、これは自分にとって「夢」への道筋が一本できたような、とても大きな出来事だった。

それから数カ月後に私は在籍していた編プロを辞め、知人の誘いで(そして今振り返っていて気付いたが、この「知人」とは、私の誕生日に『大島弓子の話をしよう』をプレゼントしてくれた人であった。もともと購入するつもりでいたので驚いたのだが)マンガ関連の企画をいろいろやる会社で働くようになる。

この会社はそれから少し後にマンガ専門の書店兼ギャラリーを持つようになり、そして、このギャラリーで杉本亜未先生の原画展を開催させていただいたのが、2019年1月のことだった。

杉本先生の大変熱心なファンでもあり、映画エッセイ「杉本亜未のシネマタマシイ」を企画・編集された三浦さんと、仕事としての部分も含め、マンガの話をよくするようになったのは、おそらくこのあたりからだったと思う。

会期中には、はるばる足を運んでいただき、たまたま店番をしていた私の名札を見てお声をかけていただいたことで、ご挨拶させていただくこともできた。

この時、「なんかいろんなところで繋がってると思うんですけど…」みたいな、恥ずかしいオタクのノリでお話ししてしまったな~~!と今は思うが、このあたりからぐっと、(少なくとも私は)距離が縮められたように感じていた。

1970~80年代の少女マンガ、とりわけ私が大学生の時にハマって自分の中で特別な位置に置いていた『エロイカより愛をこめて』の話題をTwitter上で出すと、大抵構ってくださった。

そして、その2018年末あたりというのは映画「ボヘミアンラプソディ」が公開され大フィーバーを巻き起こしていた時期で、私ももちろんハマり、それをきっかけにQUEENの音楽にも初めてちゃんと触れたのだが、そんな未熟な私のつぶやきにもよく反応していただいた。

さらにさらに翌2019年には杉本先生の原画展の第二弾と、映画「プロメア」の公開時期が重なっていて、三浦さんの猛リコメンドを大きなきっかけのひとつとして私もしっかり「プロメア」にハマっており、この時も、Twitter上でわちゃわちゃと盛り上がらせていただいたのだった。

そして、そうした、三浦さんが猛烈にプッシュしていた作品以外でも、ぽろっとつぶやいた私の好きなものに、思いがけず三浦さんが反応してくださる、ということが、本当によくあった。

ことオタク気質の人間というのは、コミュニケーションにおいて、どれだけ相手との間に共通言語があるかを重視してしまい、重なる部分が多ければ多いほど親しみを抱いてしまうものだと思う。

それはただただ、彼女があらゆるカルチャーに通じた博覧強記の人だったから、私の好きになるものなどみんなカバーしていた、というのが全てではあろうけれど、「それいいよね!」の反応をいただける喜びのとても多くを、私は三浦さんに与えていただいていた気がする。

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あれ、と思ったのは、青池保子先生のムック本発売と、それにともなう原画展が告知された、2022年9月のことだったかと思う。
いつもならいち早く反応されるはずの三浦さんがタイムラインに現れない、と。
気になってアカウントを見に行ったら最終更新は6月。お忙しいのかな、とも思ったが、ツイートだけでなく「いいね」欄もそれ以降更新されていない様子で、気になった。まさか、と。

そして杉本先生が、今回の件に関するツイートをぽつぽつとされ始めてから、まさか、は、やっぱりそうなのか、に変わり始め、そして一昨日、それは事実となってしまった。

青池先生の原画展の話で喜び合ったり、でも会場が狭いですよねええと嘆き合ったり、きっとできたはずだったのに、できなかった。

11月に発売になった「いくぢなし(ナゴムver.サイズ)」の感想を聞くことも、叶わなかった。

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振り返れば面と向かってお会いできたことは一度しかなかった(拠点を異にする以上それは仕方のないことで、一度でもその機会が持てたのはむしろ幸運なことだったのではあろうけど)のに、こんなにも悲しい、と感じてしまうのは、「すごく好きなもの」をたくさん共有していた方だったから、というのがまず一つ。

そして、忘れたようで一度も忘れたことはなかった、あの日つながった細い細い「夢」への道筋が、これをもって断たれてしまったように感じたから、というのが、もう一つ。

私は結局現在、紙の本をつくる業界からはまた距離のある場所に来てしまっているのだが、それでもいつかは、という気持ちを今も捨てられずにいるのは、あのやりとりがあったからなのだった。

杉本先生の原画展という、彼女との距離が近づくきっかけをくれた当時の私の職場であったギャラリーはその後、移転した。私は一度はその職場を離れたが、今はまた少し手伝っている。

そうした活動のいろいろを、いつか、あの夢に結実させることができたら。
そこに彼女がいないのはいかにも不安で、寂しすぎるけれど、あの熱い志をなんとか形にできたら。

実現できてもできなくても、少なくとも今は、そう考えている、ということで、この文章を締めくくっておきたい。

三浦沙良さん、本当にありがとうございました。もっともっとあなたといろんなお話がしたかった。心よりご冥福をお祈りいたします。