バンブツルテン

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「君だけが憶えている映画」(筋肉少女帯)―共有できないことと、それでも共有できる誰かがいることの価値

日々の読んだり観たりしたものの雑多な記録はnoteに移行してしまい(それも最近またサボりがちですが…)、ますます手を入れなくなってしまった。
迷ったけど、一旦まとめてアウトプットはしておきたいなあと思ったので。

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01.楽しいことしかない

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第5波真っ只中の8月のライブでこれが初披露された時は、祈りのような、とても前向きな現実逃避の曲だと感じた。
筋少のようなバンドがこういうことを歌わざるを得ないということが、悲痛な状況をかえって実感させるようでもあった。
それでも、託すしかない、託したい、と思いながら頭の中で反芻してきた日々だった。

ところがなんということでしょう、たった3ヶ月で状況は瞬く間に好転した。
そしてコロナ禍ごく初期の頃にオーケンが、「急激に始まったことは、急激に終わるような気もする」と言っていたことも思い出す。

終わってはいない。
3回目のワクチン接種も待っているし、マスク手洗いは継続だし、ライブではまだまだ発声はご法度。
でも、毎日、新規感染者の少なさが報じられ続けている。

油断はせずに、楽観はしたい、と、祈ってしまうよね。

ところで、ふと復活以降のアルバムリード曲を並べてみたんですが、

・仲直りのテーマ(新人)
・ツアーファイナル(シーズン2)
・アウェー イン ザ ライフ(蔦からまるQの惑星)
・ゾロ目(THE SHOW MUST GO ON)
・混ぜるな危険(おまけのいちにち(闘いの日々))
エニグマ(Future!)
・オカルト(ザ・シサ)
・ボーン・イン・うぐいす谷(LOVE)
・楽しいことしかない(君だけが憶えている映画)

やっぱどう考えても「Future!」以降、なんというか、自由~~~!な感じがあるなあという気がしました。
すばらしいねー。


02.無意識下で会いましょう

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「だって 実際に逢ったなら/あとでさびしいこともあるぜ」の生々しさよ。

BARKSのインタビューで、橘高さんが歌っているのを想像しながら書いた、と語られていて、めちゃくちゃ納得してしまった。

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アツい愛のメッセージは貴公子にお似合い。
そういえばいつからか、ライブでオーケン以外のメンバーが歌うコーナーやらなくなったな。
かわりに全編が少しずつコンパクトになってきている。

導入の感じとか、「LIVE HOUSE」を少し彷彿とさせるというか、それはつまりあの空間への望郷の念というか、ラブレターだよなあ、と思う。

オーケンはしきりに、オカルトとスピリチュアルは違うことを強調するけれど、外野から見るとまあまあ近しい箱に入ってはいるよね。笑
ただ、人為的な実害の発生しやすさという意味では、スピ界隈のほうが危ういとは思う、たしかに。


03.坊やの七人

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有頂天ぽい、というのは第一印象としてあったので、インタビューで答え合わせができた感じ。
ケラさんに歌ってみてほしい。

坊やにとっての『荒野の七人』はきっと、坊やだけが憶えている映画だったのだろう…みたいなことを考えたので、もしかしてこのアルバムは、「誰かの【自分だけが憶えている映画】が11本」というつくりのコンセプトアルバムとして捉えるといいのかな?とも考えたけど、「楽しいことしかない」「COVID-19」「そこいじられたら~はぁ!?」「お手柄サンシャイン」あたりはやっぱり違うかなあ、と思うから、そういうことではないな、と思い直した。
そういう意味で、一番直接的にタイトルを体現しているのが、この曲なのかもしれない。

おいちゃんロック&ポップスも、橘高メタルも、確かに私の好きな筋少には絶対に欠かせない要素だけれど、なんというか、筋少の核って、やっぱりこういう「変な」楽曲だよなあと思うし、そういうのを出してくるのってやっぱりうっちーなんだよなあ、と思う。
「Future!」の時、「エニグマ」を聴いてこれこれこれこれ!と思った、あの感覚。

ライブでは、みなさんとても楽しそうに演奏しておられるなあ、と思った。


04.世界ちゃん

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「楽しいことしかない」と、自分に言い聞かせるように歌う人の、表には出さない不安もしっかり取り上げておく。
それは意地悪とかじゃなくて、この二面性が当たり前に同居しているのがオーケンの詞世界だし、だから好きだと思う。

「安心は逆に危険」は、この夏、みんながおまじないのように聞かされ続けた、薄っぺらな「安心安全」を取り上げたものかな。


05.COVID-19

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な、なんて直接的なタイトルなんだ…と、誰もが思ったであろう曲。
そして私は、いまだに若干そう思っている。
個人的な印象として、もうひとつ処理しきれていない。

題材として避けられ得ないことではもちろんあるのはわかるのだけど、なんというか、そこは「作家」として、何らかのコーティングをしてほしかった…みたいな気持ちが少し。
一方で、それをしたほうが「作家」としては真っ当なことは百も二百も承知なうえで、あえて表現としてオーケンはこうしているのだとも思うので、複雑であるね。

茫漠とした大きな空間、という楽曲のイメージは、同じくうっちー作の「悲しくて御免なさい」に近いものがあるかな。

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これも不思議な曲だった、そういえば。


06.大江戸鉄炮100人隊隠密戦記

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そこから続くのが安心と信頼の橘高メタルでほっとしますね。
現場でバタバタと倒れていく戦士とか、世界のDANGERだから結束しなければとか、打ちまくれ打ちまくれとか、パンデミックの香りは充満しているものの、この安心感はすごい。

前々作でボートにしがみつくゾンビを振り切った皆さん、
転生したら大江戸鉄炮100人隊だった件。(何となく言ってみたかった)


07.そこいじられたら~はぁ!?

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「オーディエンス・イズ・ゴッド」系統の、筋少オーディエンスの思ってることをそのまま詞にしちゃうやつ。
自分たちの音楽がコアファンにとってどういうものなのか、本当に正確に理解しておられるなあと思う。
おいちゃんらしい元気の良いロックンロールできもちがいい。

ただ、実は「バンド」とか「アーティスト」とか「ミュージシャン」という単語は一度も使われていないのだよね。
そういう意味では、突出して普遍性がある。


08.ロシアのサーカス団イカサママジシャン

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最初は「???…?…?」という印象だった曲だけど、イカサママジシャンのステージBGMなのか、というのがわかってからは、ストンと自分の中に落ち着いた。
字面と楽曲の雰囲気から個人的に連想するのは『ZOMBIEPOWDER.』のバルムンク。懐かしい。
電子化はされていないのか…。

mangapedia.com


09.ボーダーライン

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難解、というか、これ、という読み解き方はないのかもしれない、詩のような物語。
最初に一周した時に、一番新鮮に感じたのは、橘高さんが語っている、高いところからサビに向かって下がっていく構成が、やっぱりあまり耳慣れないものだったからなのだろうな。
でも、とても美しいと思った。
あと知識がないので、語りに入るとこで安直に「天国への階段みたいなやつ!」とか思った。


10.OUTSIDERS

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BERAさんの弾くこの曲を何度も聴いた。
その記憶がどうしてもよみがえってしまうことは避けられない。
実質的な追悼ライブが延期からの中止になってしまい、自分の中で整理しきれない宙ぶらりんの状態になっていたせいもあるかもしれない。
個人的に電車の曲をなんとなく聴けていなかったので、これで本当に久しぶりに聴きました。

楽曲と作曲者に対する深い愛情とリスペクトをまざまざと感じる、痛いように丁寧で美しい演奏であるなあ、と思った。
そして、静かでサイケデリックなアレンジではあっても、筋少が演奏することでグッと華やかに、メジャーな印象になった。
楽曲を演奏する機会が失われることを避けたいから、というこのカバーの動機には、
リスナーとしても、とてもありがたいものを感じるなあ、と思う。


11.お手柄サンシャイン

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続く1行目の歌詞が、貫くように心臓に刺さる。
「ロシア~」~「ボーダーライン」~「OUTSIDERS」が組曲扱とのことだけど、それは詞の世界観がわかりやすく同じ言葉でつながっているということで、後から頭で理解したことであり、私には「OUTSIDERS」~「お手柄サンシャイン」のほうが、直感的に、もっともっと「ワンセット」に聞こえた。

おいちゃんのフレーズと、全体のメロディラインと、囁くようなコーラスは、どこまでも暖かくて泣きたくなるほど優しくて、まさしく気持ちのいい季節の日差しのようだと思う。
そこに物騒な単語が散りばめられて、筋少の世界になる。
言葉にできないような淋しさ、切なさから始まって、明るく着地する。
ここから1曲目に戻れば、とてもきれいな円環ができあがる。

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ローなアルバム、というのが第一印象でした。
なんというか、低い温度で、あえて一定に保たれているような。
元気いっぱいの楽曲もあるけれど、あくまでその上に一枚、「静けさ」で覆われているような。
この感想は少数派なのか、何か理屈が説明できるものなのか、わからないけど。
パーン!と派手でゴージャスなイメージが、あまりない。
クライマックスにあたるボーダーライン~OUTSIDERSがローな曲だからなのかな。

でも、その「温度管理されてる」感じが、美術館とか、博物館とか、それこそ映画館のようで、面白いな、と感じました。

「分断」「階層」を題材にした創作物は、コロナ禍以前から、ここ数年でとても増えていたと思う。
けれど、自分自身のことで手一杯で、周囲のことまで気にしていられなかった、というのが個人的な気持ちで、その感覚はいまも若干持続している。

「分断」を実感してしまう機会はもちろんとても増えた。
けれど、それをどうにかできる力が自分にあるとはあまり思えない。
ただただ、分かたれてしまっているんだなあ、と思いながら、日々をやり過ごすために、目の前の課題に取り組んでいくしかない、と思っている。

そういう意味で、「分断」「境界」に対する、このアルバムの問題意識みたいなものには、私の精神は追いついていなくて、それはそれだけ私の精神が幼い、あるいは、余裕がないということなのかなと思う。
そしてそれはつまり、私がこのアルバムを、本当に消化はできていないということなのかもしれない、とも。

それでも、そんな私でも、ただただ、サウンドと世界観の面白さから、何度も何度も繰り返し聴きたくなるアルバムだと、そう思っています。

そして、そんなもの寂しさを感じる一方で、じんわりとした心強さも感じる。

このコロナ禍を指して、「深夜に観た自分だけが憶えている古いSF映画のようだ」とオーケンは言って、それがタイトルになった。

それはオーディエンスにとっての、筋少のステージのようでもある。

人と人は完全にわかり合うことはきっとできないし、ひとりひとりの間には「視差」があることを、われわれは知っている。
だから、私たちはこの映画の記憶を、「共有」はしていないのかもしれない。

ただ、他方、「君」は英語で「You」で、「You」は「君たち」でもある。
そういう意味で、「オーディエンス」は、誰とも記憶を共有しない個の私たちかもしれないけれど、同じ記憶を分かち合う集合体としての私たちかもしれない。
(「audience」って集合名詞だ、考えてみれば)

誰とも共有できない自分だけの記憶は、それはそれで一種の宝物だと私は思う。
でも、そんな特別な記憶を共有できる秘密のコミュニティの一員であることも、なんだかんだ、楽しいよね。と思う。

「外」の人にはどんなに語って聞かせてもピンと来てもらえないのだろう、と思いながら、その記憶を常備薬に、映画みたいな日々を、われわれは暮らしていくのだなあ。と思います。

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体調の変化などもあり、「ひとりでいること」についていろいろ考えてしまうことが増えたので、なんだか若干ジメジメした締めになってしまった。

あまり深くクヨクヨ考えすぎずに、目の前のことを淡々と、こなしていきたいですね。
そうしている間に、世の中が、もっと良くなってくれるといいね。