バンブツルテン

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「Future!」(筋肉少女帯)―「普通」に憧れる誰かに捧ぐ

筋肉少女帯18枚目のオリジナルアルバムにして、「最後の聖戦」以来20年ぶりのオリジナル曲のみで構成されたアルバム、「Future!」が発売になりました。
個人的にだいぶ衝撃的な1枚だったので、
感想と、勢いでいろいろ考えたことを書き殴っておきたいと思います。

Future! (初回限定盤A)

Future! (初回限定盤A)

 
▼1曲ごとの感想

1.オーケントレイン

1曲目は、過去にとらわれるな、未来へ進もう!という曲。
足を引っ張っているのは過去の自分なんだよ、という曲。

過去に執着している不安で不安でしかたない我々を列車に乗せ、恐ろしい記憶の森から連れ出してくれるオーケン
それでも運命共同体的な押し付けがましさはなく、途中下車する人を引き留めはしない、ある意味でドライなところが「らしい」と思います。
ファンキーなリズム、明るくて元気がよくて、なんというか、やけくそなんだけど、健康的なやけくそさ…みたいな印象。アルバムのオープニング、そして「出発!」ということで「レティクル座行超特急」を連想するけれど、列車が向かう先が妄想と電波うずまく世界だったあのときとは、ベクトルがはっきりと異なる。
かといってただ無邪気に前向きなわけでも決してなく、そこには確実に、「いずれ死を迎える」という現実が、厳然としてある。筋少的な、オーケン的な、前の向き方。 

 

2.ディオネア・フューチャー

非常に肉体的な、官能的なところすらある歌詞であると思います。
それは、「官能植物」にインスパイアされたという、ジャケ写のディオネア=ハエトリソウからのイメージかもしれない。

官能植物

官能植物

 

前向きでマッチョな「メッセージ」と、それを素直に受け入れられず、抗おうとする声の応酬。過去にとらわれて前に進めない誰かなのだろう。
やがて抗うのをやめて、ディオネアの中に溶けていく、その先は果たして未来なのか?
つまりやっぱり未来は死で、永遠で、来世なのか。

作曲はおいちゃん。「オーケントレイン」もそうだけど、これは特に、おいちゃんの楽曲としては新機軸だなあと感じる。
インタビューによると、これと「サイコキラーズ・ラブ」は前作「おまけのいちにち(闘いの日々)」の候補曲だったという。
スランプの時期があったと確か言われていたと思うけど、それを経て、「おまけのいちにち」以降、おいちゃんは何というか、ひとつ違うステップに移った感があるような気がします。

 

3.人から箱男


筋肉少女帯「人から箱男(筋少×カラオケDAMコラボ曲)」(short ver.) 2016年10月26日(水)発売

唯一の既発曲。ここに挟まってて違和感がないのは、前へ前へと向かおうとするエネルギー感がアルバムにハマっているからなんだろうな。コンパクトに筋少ハードロックをやっている感じだけど、作ったのがおいちゃんというところがミソ。橘高メタルとはやっぱりちょっと違う。面白いです。

 

4.サイコキラーズ・ラブ

愛し合うとかわからない、人の痛みを感じない。やさしさとかはわからない。さびしさだけはわかる。そんなサイコキラーふたりのラブソング。

個人的に、これは「告白」にも通じるところなんですが、自分の性格が人より冷たい、ドライであるという自覚があって、それによる劣等感もすごくありまして。
サイコキラーズ・ラブ」を聴いたときに泣いてしまうのは、猫とか犬とか手にかけるようなことはもちろんしないけれど、そういうところにすごく共感してしまうから。

アコースティックで通せば、ある意味で歌詞の悲しい美しさと非常に整合性が取れるのに、後半からピアノとギターの音色、刻まれる静かなリズム、コーラス、畳みかけるサビ、そしてハンズクラップ!
ここまでポップでかつ落ち着いていて美しい曲は本当に筋少でも随一で、これにこの詞が乗っているのが、もう、本当に、筋少でしかないなと思います。リリース前に繰り返し披露されたのも、「これは筋少しかできない」という確固たる自信のあらわれだったのだろうな。

ずっと一緒に生きていこうと思える相手がいるなんて、それはもう愛なんじゃないだろうか。
この2人は、とても幸せなんじゃないだろうか。
愛とか恋とか、わかんないけどさ。

 

5.ハニートラップの恋

今回のアルバムでは救いになる軽さ…と感じました。ザ・内田GS。
冷静に考えれば十分何だこれはソングなんだが、ほかの曲がパンチがありすぎて、
箸休め的な印象。それがちょうどいいです。「生まれかわれたら普通に恋したい」というのが、アルバムのテーマに絡むところかな。

 

6.3歳の花嫁

メメント・モリな、死を思うオーケンのストーリーソングはいくつもあったけれど、ここで歌われている「死」はとても生々しい。
ひとフレーズひとフレーズがグッサグサに刺さって、何度聴いても泣いてしまう。

明るくポップな曲調に悲しい、切ないストーリーという取り合わせはある意味で定番の、ベタなやり方ではあるんだろうけど、普通のバンドはやんないよコレ、というワードのチョイスや音の使い方がキレッキレに冴えていると思います。
アンパンマンQUEEN、そして「永遠も半ばを過ぎて」と、引用もピリッと効いている。

ところでこの歌詞、身近に小さい女の子がいると想像しちゃいませんか。
つい姪っ子のことを考えながら聴いてしまうんだよなあ…。

 

7.エニグマ


筋肉少女帯「エニグマ」MV  (2017年10月25日発売AL『Future!』収録)

意味があるようでないような言葉の羅列、気がふれたようなオーケンの歌い方、展開に次ぐ展開、転調、変拍子
一発録りと知り驚いたが、たしかに、逆にライブに近い形じゃないと録りづらい曲なのかもしれないなあと思った。
これ、MVが公開されたときはちょーーーやべええええってなったんですが、アルバム通して聴くと、なんというか…アルバム自体のインパクトがものすごくて、結果的にこの曲のインパクトは少し中和された。
思いっきりプログレかつハードでテクニカルな演奏、そして謎の歌詞と語り。
いまの筋少の代表曲を1つ挙げるとしたらこれが良いのでは、という曲になっている気がしました。これがピンと来るかどうかが、一種のリトマス試験紙みたいな。

 

8.告白

アルバム随一の(…っていうのがいっぱいある気はしつつ)衝撃を与える1曲。
うっちーは飛び道具ポジションではあるけれど、今回はもう、道具の飛び方が半端じゃないですね。内田流80年代テクノポップヒカシュー感もある。

その曲に乗せて語られる、ある男の心情吐露。「普通」ではない自覚を持ちながらどうにか「普通」の人に合わせて生きている、「普通」であることに焦がれる心。
個人的に、やはりここでも、ひとつひとつのフレーズにすごく共感してしまう。

そして、
けれども君のことだけは 大好きだよと言えば いかにもな歌にもなるし 君もうれしいだろう
これが、ものすごく鋭い自己批判だと思っていて、だって今までの筋少はこういう歌を歌ってきている。(「人間嫌いの歌」とかね)
ここに「告白」というタイトルの真意が見えるような気もするし、「ついに言ったね」みたいな感すらある。

 

9.奇術師

今回のアルバムはとにかく橘高さんの色が薄まったなぁと思っているんですが、ここで泣きのギターインストという形で橘高イズムが全開になっているのが、ちょうどいいバランスなんだろうな気がしました。筋少としたらある意味新しい。
「告白」と「奇術師」が、アルバムの両極であると同時に、筋少の音楽の端と端かもしれないな、と思いました。並べて配置されているのがまたおかしい。

 

10.わけあり物件

こちらは、「ハニートラップの恋」と同じ「安心枠」。クライアントありきのタイアップ曲だったということもあり、「おわかりいただけるだろうか」にも通じるオカルト路線。最後から2曲目という位置に収まっているのも含めて、ホッとさせてくれます。ホッとするような歌じゃないのにね。笑

 

11.T2(タチムカウver.2)

こじらせたルサンチマンの歌だった「タチムカウ~狂い咲く人間の証明~」が、20年を経て、ものすごくエネルギッシュで健康的な歌に生まれ変わりました。
もちろん原曲を踏まえてか、「やつら俺ら見下してる」という歌詞が入ってはいるものの、そこに大してこだわっていない感じがすごくいいなと思います。

リリース前に聴いたときは、おいちゃん曲かな?と思っていたけれど、橘高さん曲。なんとなく、こういう曲も作るんだ!という発見というか驚きがちょっとありました。でも、結構橘高さんて作る曲にバリエーションあるよね。「別の星の物語り」とかもあるし。

しかし、インストの「奇術師」、軽めの「わけあり物件」、そしてやや異色な「T2」で、今回、本当に、つくづく「THE・橘高メタル」な色が薄い。

私も「タチムカウ~狂い咲く人間の証明~」を大事に大事にしてきた1人ですが、入江選手と一緒に、自分の中のその位置に、この曲を置き換えたいと思っている。
結論は、タチムカウ。異議なし!

▼まとめ

今回のアルバム、今までの筋少の音源とはハッキリと異なる印象があって、その正体は何だろうか?といろいろ考えていました。

で、まずひとつ大きいのは、「過去の記憶への執着こそが苦しみの根源なのだから、それはもう絶って、未来に向かおう。そして、その『未来』は、どんな精神的マイノリティにも用意されている」というメッセージが前面に打ち出されていることではないかな、という考えに至りました。

筋少においてアルバムごとの世界観やテーマを考え、提案する役割を担っているのは作詞者でもあるオーケンなわけですが、これまでのアルバムで、その「テーマ」が、オーディエンスに向けた「メッセージ」であったことって、なかったんじゃないかと思うんです。

(強いて言えば、エキセントリックな感情を持つ少女たちに向けて詞を書いたという「エリーゼのために」には少しだけ近いかもしれない。『筋肉少女帯自伝』より)

あえて断言しますが、筋少のことが好きで好きでしょうがないような人は、たいてい何かしら「うまくやれない」劣等感、人としてまともじゃないような欠落感を抱いていると思います。多かれ少なかれ。
サイコキラーズ・ラブ」や「告白」で歌われているようなことじゃなかったとしても、何かしら、世の中に対してズレとか、ままならなさを感じている。自分が「人間モドキ」なのではないかという不安、もしくは確信を抱いて生きている。
そういう意味でさらに断言しますが、やっぱりオーケンは、そんな私たちにとって
「この人あたしをわかってる、あたしの心を歌ってる」存在であり続けるんです。
そんな私たちに向けて、はっきりと「未来へ向かおうぜ、乗せてってやるから。向かう先は死かもしれないけれど」と歌ってくれたことの新しさ。
これがまずひとつ。

次に、冒頭から提示される、その「執着が苦しみの根源である」という結論
筋少と特撮の両方を追っている人であれば、「Future!」というアルバムタイトル、そして「オーケントレイン」の苦しみの根源は執着ですという語りからは、2016年2月にリリースされた特撮のアルバム「ウインカー」に収録の「荒井田メルの上昇」を想起せざるをえないわけです。

荒井田メルの上昇

荒井田メルの上昇

  • 特撮
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

www.utamap.com少女・荒井田メルが、バイク事故を経て突然「ザ・フューチャー」を名乗り、「執着が我らの苦しみ、根源」であり、「恋するパワーだけが未来を生き抜ける根拠」であると語り出す。
「ウインカー」というアルバム自体には、大きなメッセージ性みたいなものは与えられていないように思うけれど、この時期にオーケンはこういう「結論」を得ていたのかな、なんてことを考えます。
「踊るダメ人間」とか、「戦え!何を!?人生を!」とか、「銀輪部隊」とか、あるいは特撮のいくつかのアジテーションソングや「さよなら絶望先生」絡みの楽曲とかで、オーケンはたびたび「それでも生きていかざるを得ない」苦しみを歌ってきているけれど、そこにはいつも「自分を追い立てる何か」や「自分をないがしろにする誰か」のような「敵」がいた。
「おまけのいちにち(闘いの日々)」の「時は来た」で歌われる敵はどこ? 敵は誰? 最初にわかっとけというフレーズに、私は「本当は存在しないかもしれない敵に、ひとりで立ち向かっている様の滑稽さ」が歌われていると思っていたんですが、それがついに「敵は過去や思い出に執着する自分自身なんだよ」という結論をはっきり提示する形に変わったんだなあ、と思いました。
これがふたつめ。

(ところで、個人的に、特撮の「パナギアの恩恵」と筋少の「おまけのいちにち(闘いの日々)」、特撮の「ウインカー」と筋少の「Future!」の、聴いたときの印象がとても近かったです。前者には「変わりつつあるなにかへの戸惑い」を、後者には「進化への感動」を覚えた、という点で)

そして、オリジナルメンバーである我らが内田雄一郎氏の存在感の大きさ
前作「おまけのいちにち」の時点で内田さんは「時は来た」「S5040」「夕焼け原風景」の3曲を提供していて、近年の作品には珍しく、かなりアルバムにおいて存在感を持ってはいた。それが、「おまけのいちにち」を一風変わった作品にしていた要素ではあると思うんですが、この3曲はどれも比較的長尺で重めの曲という意味で共通していて、しかもアルバム終盤にまとまって置かれていたので、「んっ!?」みたいな驚きはあまりなかったんですよね。

それが今回は、思いっきりバラエティに富んだ3曲が、しかもアルバム中盤に配置されている。そして「エニグマ」はアルバムのリード曲に抜擢され、「告白」にはバンドの存在意義にも近いような重要な歌詞が乗ることになった。
なんというか、うっちー、ノッてるなあ! みたいな印象です。
オーケンが近頃やたらと「内田くんがカギになる」と語ってきたこととか、ソロ活動やその他いろいろなバンド活動とか、きっとまあ、いろいろきっかけや要因はあるんでしょうが、結果的にアルバムを支える、バンマス的な存在感がうっちーに宿っている気がしました。
それによって、おいちゃんと橘高さんの、今までとは違うアプローチもより活きているのかなあ、と。

そしてそして、そんなふうに、今まで(最近)のアルバムとは明らかに違うにもかかわらず、むしろ、だからこそなのか、めちゃめちゃに「筋少らしい」アルバムになっている、ということ。
筋少らしさとは何ぞや、というときに考えるのは「バラエティに富んだ音楽性」であり、「オーディエンスが参加して全力で楽しめるライブのエンタテインメント性」であり、「歌詞や語りの独特な世界観」であり、「オカルト」「プロレス」といった音楽以外のサブカルチャーへの親和性であり…といったところになるかと思うんですが、今回、たまたま入江選手への提供曲が含まれたというタイミング的なミラクルなんかもあって、それらすべての要素がこれでもかと全部入れされているアルバムになっていると思うんです。

バンドの個性が200%発揮されているうえに、これまでのアルバムとは明らかに違うことをやっているんですよ。
こんなん最高じゃないですか。

 「人間モドキ」たちのための名盤がここに爆誕してしまったなあ、と、今あらためて考えてみて、しみじみ思いました。

最終的に何が言いたいかというと、
普通じゃない自分に悩んでいる奴はみんな筋少を聴けばいいよ!ということです。

生きるのがうまくない自覚があって、なにがしかの救いを求める層が最初にアクセスするのに、とても良い作品になったのではないかと思います。
ここまで読んでいるような人はたいがい、こじらせた筋少ファンというかマニアであろうなとは思いつつも、もし万が一、筋少に興味を持っているけどまだ聴いたことがない…くらいの感じの方がいらっしゃるのであれば、声を大にして言っておきます。

とりあえず「Future!」、聴いてみてください。
そして、ライブに来てみてください。

これが、「Future!」を聴いて私が言いたくなったことのすべてです。

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アルバムが出てからずーっとぐるぐる考えていたことをやっと吐き出せてスッキリしました。
ツアーが楽しみだなあ、本当に。
結論か? 結論だ! 異議なし!

「ガラスの仮面展」に行ってきた

松屋銀座で開催中の「ガラスの仮面展」に行ってきました。
ら、とても楽しめたので感想をしたためておきます。

f:id:fumfumz:20170828233558j:plain潔いエントランスに、もちろんあの人からの紫のバラ

日曜夕方という時間帯を狙った甲斐もあり、混雑はさほどではありませんでした。
どうしても滞留はするけど、ごった返している感じではなかったし、先に他を見てから最初に戻る、という見方もできたので良かった。

どんな雰囲気(というかノリ)なのかは公式Twitterアカウントなんかがわかりやすく伝えているから見ていただくと良いんでないかしらと思います。

twitter.com

以下は、展示を見て個人的に思ったり感じたりしたこと。
全面的にネタバレしていますので、構わないという方だけお読みください。

■シンプルかつゴージャスな展示内容

全体として、原画でこれまでの作品の軌跡をたどっていく流れ。いたってシンプルです。

ガラスの仮面』の作品内をひと通り振り返ったあとに、おまけ的にメディアや舞台化関係、ほかの身内作品関係の展示物がある、という形。

印象的だったのが、壁面やコーナー区切りのカーテンなど含め、あらゆるものの色味が基本的にワインレッド/黒/ピンク/紫(のバラ)で統一されていたこと。

と書くとなんだか味気ないようですが、実際にはゴージャスなところはうんとゴージャスに感じられる演出がされていて、メリハリがあって良かった。

あと、各コーナーのサインや物販のPOPにいたるまで、あちこちに使われていたガラスの欠片のような多角形のモチーフも、この作品ならではだなーと思いました。

作品の持つ抑制の効いた気品ときらびやかさが、よい形で再現できていたのではないかと。

なお、場内は写真撮影一切禁止。
いろいろ考え方があるとは思いますが、基本的に展示物がほぼ原画のみである以上、これはしかたないのかな。

そのかわり、出口には顔ハメパネルがわざわざ3種類。

f:id:fumfumz:20170828235120j:plain一番やってみたくなるのは真ん中かなぁ

個人的には、顔ハメじゃなくて単体で被写体になるようなパネルとか、ひとつくらいほしかったなぁという気はするのですが、実際この形は幅広い年齢層のお客さんにたいへん喜ばれているように見えたので、アリだったのでしょう。

■悪ノリを含めた「ノリ」のよさ

全編通じて、とにかくノリノリでつくられている感じが楽しかった!

たとえば、この作品の代名詞ともいえるような、キャラが白目になっているシーンの原画ばかりを集めたコーナーなんてのもあるんですが、これ、「白目」がいわばネタ的に面白がられていることを、制作サイド・監修サイドが認識・許容していたからこそできたことであり、こういう柔軟さ、とても大事だな~と思います。

物販にしても、SNSでも話題を呼んでいた「泥まんじゅうチョコクランチ」「白目になるクリアファイル」をはじめ、制作サイドのニヤニヤが伝わってくるような、絶妙なグッズの数々に、見ているだけでこちらもニヤニヤしてしまった!

大都芸能や劇団オンディーヌの熨斗がついたお菓子や、作中劇をモチーフにしたチケットファイル類なんかも、ノリで買いたくなりました。

■総括:ガラスの仮面はホラーである、そして国民的コンテンツである

「これ怖かった~!」「おかしいよね…!」
有名なシーンの原画の前では、こんな会話がよく聞かれました。
マヤが川に飛び込んで「椿姫」のチケットを手にするシーン、「奇跡の人」の「ウォーター」のシーン、オオカミになりきるシーン、泥まんじゅうを貪るシーン…。

それらを改めて原画で見てみると、なるほど一種のサイコホラーだな…と改めて感じる。背景の演出とかね。

そこで他作品の原画なんかも見ながら考えるのは、美内先生はそもそもホラーの描き手としても著名であること。
作家としてのキャリアというものに無駄はなく、どんな作品の経験もその作家の一部となっていくのだなあ…ということを実感。

(ちなみに近い例としては、ささやななえこさんが連想されるかと思います。
『凍りついた瞳』シリーズの鬼気迫る描写は、ホラー畑経験者ならではの凄みではないかと)

 それと、もうひとつ強く感じたのが、来場者層の多彩さから、本当に幅広い年代の読者に愛されている作品なのだなーということ。
長寿作品のわりに重要な登場人物が少なく、一人一人のキャラクターを充分に立たせやすいというのもあるのだろうな。

多作であることもひとつの才能だけれど、ひとつの大作にずっと向き合い続けていること、そしてその作品で世代を超えた多くの読者の心を惹きつけつづけていることも、非常に得難く、尊いものだと思いました。

冒頭とラストにちょっとした映像とグラフィックによるややメタ的な演出があり、これが現実と作品世界の橋渡しとして絶妙だったなーと思います。

いつか完結した暁には、「こち亀」や「浮浪雲」のように、マンガ界を超えた一大ニュースとなるのでしょう。その日が来るのが怖いような、寂しいような、楽しみなような、不思議な気持ちです。

ところで、入場料1000円でこの内容にはたいへん満足したのでもうひと課金しようと「喫茶月影」で「月影パフェ」をいただいたんですが、容器の底の細くなってるとこにはまりこんだスポンジが食べられなかったことを恨めしく思ったことだけは記載しておきます。

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f:id:fumfumz:20170829005225j:plain
正直くやしかった

東京会場の会期は9月4日まで!

www.asahi.com

https://twitter.com/fum_sz/status/901751696543453184

https://twitter.com/fum_sz/status/901751696543453184

仕事用ブログつくりました

仕事の報告・告知・連絡用ブログつくりました。

fumsz.hatenablog.com

どうするのが一番良いのかなー、といろいろ模索した結果、いったんこうしてみることにしました。
日々の雑記とか、ライブの感想とか、読んだものの感想とか、そういうのは相変わらずこちらで更新していくと思いますが、ひとまず。よろしくどうぞ。

2017/3/12(日)筋肉少女帯「猫のテブクロ」完全再現+11(大阪版)LIVE@大阪BIGCAT

ライブなどの感想の書き方を模索中なのですが、とりあえず。
「猫のテブクロ」完全再現+11LIVE(大阪版)に行ってきたら最高だったので、とにかく書き殴ります。長い。

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OPSEは「混ぜるな危険」
自前の音源がSEということはこれも映像作品になるのかな~と思いつつ
(そろそろ椅子みたいにSE用の曲とか作ってもいいかもしれんな)
ステージに登場するメンバーを拍手と歓声で迎え…と、
橘高さんの髪の、色が! 
その時わたしは悟ったのでした、この夜が完全に特別な一夜になることを。

「サンフランシスコ」カーネーション・リインカネーション」
まずはワーーーーッと盛り上げに来る感じ、と理解。

オーケン「今日はいろいろみんなに報告することがあるぜ! うれしい報告がよぉ!
この間発売になった! えーブルーレイ?DVD? 橘高さんアレの商品名なんだっけ?
『再結成10周年パーフェクトベストTOUR FINAL 六本木!』が! タワレコさんのデイリー映像チャートで、何位になったと思う? なんと! 1位になったぜーーー!」
「デイリーとはいえ、1位だぜ! あなたがた、筋肉少女帯のファン人生の中でこんなことあった!? あの~~~今日はフェスとかじゃないから、ほかのバンドのお客さんとかいないから隠さなくていいよ! 俺たちはなあ! みなさんが思っている以上に! 喜んでいるぜーーー!!」
ひとしきり喜び踊るメンバーのみなさん。かわいい。

愉快な賑々しいMCを挟んでから始まるのは、ちょっと久々「みんなの歌」そしてこれもショウマスのちょっと久々曲吉原炎上

すっかりいつもの通常営業の楽しい筋少ライブなテンションになってるところにぶっこまれてきたのは橘高さん歌唱コーナー。
これこそが、ここから始まる特別な一夜のトリガーとなった1曲でした。
「それじゃあ1曲、歌わせてもらおうかな! OK大阪ァ! 頭振れますかァ!!」
\イエーーーイ!/に応じて始まったのは、始まったのは…
『罪の意識で眠れないのかい? 踊れ踊れ! サルになってGO! GO GO!』
まさかまさかの「俺の罪(橘高Vo.ver)」!!
愉快すぎて爆笑してしまう。
いつもならばうっちー(か、オーケン)の歌う「おいらの自慢の~」パートも、
うっちーが歌う…と見せかけておいちゃんが歌う、という細かいネタも!

もう完全にたのしーい気持ちになってしまったところで、「あのぉ、完全再現っていってもね、YESじゃないですから(笑)。ふつうーに、盛り上がってくださいねぇ」というオーケンの気取らない一言から、「猫のテブクロ再現」コーナーへ…。

ほんの一瞬の音のひらめき「星と黒ネコ」、そして、その幻想的なキラキラを覆うのは、オーケン自らの「これで、いいのだー!」の叫び。
掲げられる拡声器、重たいイントロを劈くカッティング、ライブじゃド定番の「これでいいのだ」も、こう演奏されると趣向が違ってきます。
どうなるかと思われた、キーボード+語りによる間奏部分も見事に再現され、そして続くのはなにやらインドな香りのするイントロSE…
「日本を印度に!」\しーてしまえ!/
もう何百回と聴いてきた「日本印度化計画」も今日は違って聞こえるよ!
「ハヤシもあるでよー!!」の叫びで〆られ、そしてそして始まる「星の夜のボート」で、われわれはさらなる幻想世界へ連れていかれました。
オーケン、キー高くてちょっと苦しそうだったな。

レコードでいうならA面、のここまででいったんMC。
今回の再現ライブにそなえてアルバムを聞き直したんです。
テロリズムの歌からちょっと泣かせて、また不条理な感じに行き、最後にまた泣かせて終わる…
この歌詞を書いた人間は天才だね!と笑いをとるオーケン
でも、改めて聴くともう本当にまったくもってその通りで、それは本当に、ほかの何者にも到達できない感覚と才能の世界だなあと思った。

そして「猫テ」コーナー後半戦へ。
「次の曲…ああ~、これで声入れてくれた子供とか今どうしてるんだろう?ねえエディ?」という振りからの…
『先生、遠足に行っている間に…』
「Picnic at Fire Mountain ~Dream on James, You're Winning~」
そしてはじけるニコニコ空間、
「Go! Go! Go! Hiking Bus~Casino Royale~,~The Longest Day~」

ハイキングバス、わたし初めてだったかなあ、生で聴いたの。
C.C.Lemonホールだった頃の渋公での初期曲ライブの映像の印象が強かった曲。
ハイキングに参加する子供たちの気持ちで\ヤーーーーー ヤーーーーー/しつつ、やがてモヤモヤと宙に霧散する子供たちの声、口笛(オーケンがエア口笛していた)、そして、もちろん、そのまま雪崩れ込む、「最期の遠足」

筋少の曲の中でも、かなり最初の頃に好きになった曲だったなあ。
パノラマ武道館の映像、繰り返し繰り返し見たっけなあ。
楽曲の緊張感に固唾を呑みつつ想いを馳せました。
この曲も生で聴くのは初めてじゃない、のに、前に聴いた時とは、全然抱く感覚が違う。

そして、「月とテブクロ」で物語はしめくくりへ。
静かで、悲しくて、寂しくて、怖くて、不安で、美しい世界に吞み込まれた。
ふたつのギターで表現された、不穏で寂しくて切なそうな黒ネコの泣き声がいつまでも耳に残った。

やりきった、とでもいうような、満足げな、肩の力が抜けるような雰囲気とともに、「猫テ」再現コーナーが終わりました。
ふにゃりと笑いながら白手袋を口で取るオーケンがキュートだった。

ここからは得意の「通常営業」筋肉少女帯
北の国からアイツがやってきた!の「イワンのばか」
オーケンのポリープ手術を経て特別な1曲になった「週替わりの奇跡の神話」
そしてちょっと意外な「くるくる少女」というややメタルハラスメント(笑・歓迎です!)な流れからの、
まさかの「労働者M」で本編終了。鬼か!w

そしてアンコール。
こともなげに始まったのは、「リルカの葬列」

その曲が始まったと気づいた瞬間に、内臓を鷲掴みにされたみたいにすくみ上がってしまった。
リルカをライブで聴いているという事実が、ウソみたいだった。

ファンは共有している感覚かと思いますが、「リルカの葬列」は、オーケンがちょっと調子を崩す(直前かな)時期のシングル。
たぶん、あまり思い出したくない頃なのだったろう。
そういう、おそらくつらい記憶がまとわりついているであろう楽曲はオーケンはライブであまりやらないし、今のニコニコなオーケンが、筋少がなによりも大事なものなので、封印されても致し方なしと思っていた。
それが2017年の今ライブで聴けているなんて本当にウソみたいだと思った。

気がついたら自分でもびっくりするぐらい泣いてしまってました。
筋少のライブでこんなに泣いたの久々な気がした。
今思えばリルカをやるかもっていう情報は入っていたし、開演前にも思い出していた。にもかかわらずすごくびっくりしたのは、それだけ、ここまでの展開に驚かされ、心が振り回されすぎて、余分なことを考える余地がなかったんだな。


センチメンタルな感情を払拭するような安心のド定番「釈迦」
EDSE「SIGN」にて、この特別な一夜には、幕が下りました。

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改めて振り返ってみると、
+11パートの内容は「ド定番+サプライズ」、という、
もう、なんか、サービス精神のバケモノかよみたいな構成のライブでしたね。
満足度が高いなんてものじゃない。
最高でした。最高すぎました。

今回のライブ、いろいろなことを考えたんですが、ひとつ大きかったのが、「オーケン筋少も超すごい」という当たり前の事実の再確認。

筋少についての言説で「大槻ケンヂの持つ独特の文学的な世界観が云々」みたいなやつが、ちょっとあんまり、好きじゃないなあと思うことがありました。
オーケンの書く歌詞世界はもちろん筋少の大きな魅力の一つではある、けれど、なにか、その言い方って、楽曲や演奏の前に「歌詞」で話が終わってしまう感じがして、筋少はそれだけじゃないのになあ、って。

でも、少なくともかつての筋少は、間違いなく、大前提に「大槻ケンヂの独特の文学的な世界観」があった。
そしてそれは、あの超絶技巧異種格闘技的なバンドのスタイルであってこそ表現し得たのだ、ということを、理解せざるを得ませんでした。
あのねえ、やっぱりオーケンすごいし、メンバーもすごい。
知ってたけど改めて思い知った。

そんで、筋少ってこの方向を突き詰めていって、完全にシアトリカルなバンドになる道もきっとあったはずだろうにそれをせず「ゴージャス・エンタテインメント・ハードロック」の方へと進み、その要素も、文学的・劇場的要素と同時に、とても大切にしているというのが、筋少がオンリーワンになった所以なのだろうなー。

あと、「猫テ」コーナー終了時にオーケンも言っていた「なんかー、いろいろ、思い出すねえっ!」という感じに引っ張られたのかもわからないが、見ている間、映像でしか知らない、あの頃のオーケンの姿が、すごくオーバーラップしました。
儚かった、妖艶だった、森に棲んでいるという噂だった?頃のオーケン
それは、筋少の存在を知り、ネット上で情報を集め、音源や映像作品を猛烈な勢いで手元に揃え始めた頃の、今から10年くらい前の私が、むさぼるように見ていた「at 武道館」の映像だったと思います。

at 武道館 [DVD]

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 コミュ障こじらせて、就職活動に失敗して、先が見えなくて、苦しかった頃の自分が夢中になった対象。
10年くらい経って今、健康的なニコニコおじさんたちになった筋少ちゃんが、同じように、いや、おそらくうんと円熟した技術で、それらの曲を演奏している。
「不変のもの」と、「変わったもの」と、その両方のあることの素晴らしさを実感した。

あとあと、かつての筋少の音楽って、猛烈に「さびしさ」に寄り添っていたのではないかな、ということを、猫テ曲、そして「リルカ」で実感したりもした。
私はよく再結成後の筋少ちゃんを「健康的」と表現するのだけど、それはきっと、あの「さびしさ」が、何らかの形で満たされたり解消されたりやり過ごされたりした結果なのかもしれない。

脳がいろいろと忙しすぎて、考えたことをアウトプットしておかなければ思考回路がショートしてしんでしまうと思ったので、とりあえずブログに書きました。
万が一、これを読んでいる人で大阪に行ってなくて東京行くか迷ってる人いたら行ったほうがいい、絶対!
そしてこの企画、ぜひ継続的なものになってほしい!

https://www.instagram.com/p/BRibmdCg03T/

複数上げられるようになったのでやってみつつ… 「猫のテブクロ」完全再現+11ツアー初日、猫テパートも+11パートも素晴らしすぎて胸が詰まった。今日のライブを見られて本当に良かった、です。あー。言葉にならん

WE ARE X

X JAPANYOSHIKIの今と軌跡を追ったドキュメンタリー映画「We Are X」を観てきました。ので、感想を書きます。
書きたいと思ったことをどんどん書いていきたい。

wearexfilm.jp

映画は、X JAPANの2014年のMADISON SQUARE GARDENでのライブを核として、そこに至るバンドの日々を追いながら、過去の映像、メンバーや周辺の人々、海外ミュージシャンなどへのインタビューでバンド(と、YOSHIKI)のこれまでの軌跡を振り返る、という構成。

私はXが社会現象になっていたころといえば物心つくかつかないかといった年齢で、hideの死のニュースをワイドショーで見たことはうっすらと覚えている、という程度。
ただ、職業:筋肉少女帯ファンでありたい身として、正史としての元祖ヴィジュアル系であるXについては、きちんと知っておきたいと思っていました。
ので、「日本のバンド史を塗り替えたXというバンドについて知ろう」みたいな姿勢で観に行ったわけですが…
蓋を開けたら、学ぶとか悠長なことを言っている場合では全然なかったです。
(学べましたけどね、もちろん)

■ドラマよりもドラマなバンド・ヒストリー

映画は生々しいバンドの「今」と「過去」を映し、語っていきます。

YOSHIKIとぶつかり合い続けた末に、「ルールを破った」ことへの報いとしてクビを告げられたTAIJI
映画に登場するすべての人が言葉を尽くして、どれだけ人として、ミュージシャンとして魅力的な人物であったかを語るhide。

そしてもちろん盟友・ToshI。
アメリカでラジオ番組?に出演した際にYOSHIKIは聞かれる。
「バンドが解散した理由は音楽的なこと? 人間関係?」
それに対して彼はシンプルに答えていた。「メンバーが洗脳された」と。

ToshIが戻ってきた時のことをYOSHIKIはこう語り、声を詰まらせる。
「バンドの再結成よりも、友達が戻ってきてくれたことが嬉しかった」

今のYOSHIKIとToshIが何気ない思い出話に花を咲かせている一コマで、
私は嗚咽するほど泣いてしまったよ。

バンドに夢中になる理由っていくつかあると思うわけですが、
メンバー間の絆という、ドラマよりもドラマみたいな要素にグッとくるというのは
その中の非常に大きな一つであって、Xの場合はやっぱりそこがもう本当に、フィクションよりも劇的なんだなあと思った。
こんな物語、ウソじゃ作れない。

■バンドとファンの物語は普遍の

若い頃、X JAPANが社会現象となっていた頃。
YOSHIKIはステージの上で倒れ、気を失い、スタッフに運び出される…そういうライブを繰り返した。
観客はそれを一種のショウとして眺め、興奮していたけれど、まさにその瞬間に生命の危機だったということも何度もあった、と、周囲の人が語ります。

今、映画の中で、繰り返しYOSHIKIは診察や注射やストレッチ指導を受けます。
首、手首、肩…自身の肉体を酷使する長年のプレイスタイルが、その全身を蝕んでいるであろうことは想像に難くない。
でも、その、積み重ねてきた痛みこそをエネルギーにして、さらに外へ、上へ向かおうとしている彼の姿勢になんだか胸を撃たれました。

かつての彼は、どこかで「どうなってもいい」と思っていたかもしれない。
それが「どうなってもよくはない」になったのは、たぶん、彼の語る通り、「運命共同体」であるところの、ファンのためなんだろうな、と素直に思う。

そして、私はこれに似た物語をいくつか知っていると思いました。
解散、活動休止、メンバーの心身の不調、あまつさえ死。
そういういろいろを乗り越えたり、あるいは抱えたままであっても、
自分たちと自分たちの音楽を、人生におけるかけがえのないものとしている「ファン」という存在のために、先に進んでいく人たちの物語。

どうしてもやっぱり筋少の話をするわけですが、
われらが筋少ちゃんのメンバーたちも、YOSHIKIと同じように、
「ファンのみなさんのおかげです」という言葉を口にする。
双方お互いにとって、何物にも代えがたい存在であるという、双方向に矢印が向き合う関係性は、美しくて尊くて、普遍のものなんだなあと。

バンドという存在に自身の人生を仮託したことがある人ならば誰しも、
彼らの物語に揺さぶられないはずはないと思うのです。

We Are X、とってもおすすめだぞ!


ところで、最後に少し余談を。
20年以上前、私の年の離れた兄が、X JAPANのCDを持っていました。
彼はとても音楽が好きな人ですが、HR/HMはほとんど聴きません。
その彼が多感な頃にXに惹かれていた理由は何だろうか。
私は、それはYOSHIKIの生い立ちにもしかしたらかかわるのかもしれないなと思った。

喘息持ちで、長い入院生活を強いられていたらしいYOSHIKI
兄も同じでした。病気がちで、入退院を繰り返し、そして喘息持ちでもありました。
そのころに、そんなYOSHIKIの子供時代のエピソードがメディアに出ていたのか、
そして兄がそれに触れていたのかはわかりません。
でも、彼のその後の音楽の好みとは正直、似ても似つかないと言ってさしつかえないようなXとYOSHIKIの存在が、彼の音楽の原体験にあった理由は、
ひょっとしたらYOSHIKIへの共鳴、憧れ、そんなものがあったのかもしれないな。

 

今年もすでに良い映画をたくさん観られていてとても嬉しいです。ガンガンいこうぜ

人生の終わりごろにどんな自分になっていたいか

今日も独り言をつぶやきます。

昨年1年間、いわゆるこんかつというやつをしていました。30になった瞬間に本能の叫び声が聞こえたのですな。

毎週末のようにはじめまして、の異性と会い、そのうち8割の人からは即日「ないわー」と判断され、残る2割の人とも結局、実を結ぶことにはなりませんでした。

消耗して疲弊して、活動を継続するかを迷っていた折に思い切るきっかけになったのは、毎週見ているドキュメント某時間なるテレビ番組に映った、ある女性。50代くらいだったか。

大病をして、ひとりで入院してひとりで退院して、歩くのもしんどい。でも杖を持つと大仰に見えて恥ずかしいので、杖がわりにスーツケースを転がし歩くの。「ちょっとそこまで」という体で。そんな話を明るく静かにあっけらかんとしていた。

その姿をいいなあ、と思ってしまったのでした。他人の生き方に、こんな風でありたい、と初めてはっきり思ったような気がした。

私はけっこんしたいというより「一人前になりたい」と思っていたのだろう。そして、自分の思う「一人前」の理想のひとつは、あんなふうに軽やかにひとりで自分の人生に責任を持てる生き方だったのかもしれない。

彼女の人生のほんの一瞬しか私は見ていないけれど、そんなのが何かのきっかけになることもある。

この話の結論は、ひとりでてめえの面倒を見られる、静かに楽しくあっけらかんと生きられる大人をまずは目指そうと思いましたということと、いつどこで出会うものが転機になるかわからない、ということです。

それではまた。

2017/2/12(日)内田雄一郎「SWITCHED ON KING-SHOW」発売記念イベント@TOWER RECORDS 錦糸町店

SWITCHED ON KING-SHOW

SWITCHED ON KING-SHOW

 

我らが筋少(や、その他いろいろなバンド)のベーシスト・うっちーが、初のソロアルバムをリリース。内容はなんとテクノ!
その発売記念インストアイベントが、スタッフさんの熱意がファンの間では有名な、タワレコ錦糸町店さんで催されることに!
めでてえな、ということで、久しぶりに錦糸町まで出かけてまいりました。

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「トーク&ミニライブ&サイン会」と銘打たれていたものの、演奏は行われず、袖の三浦社長をアシスタント係として、ほぼうっちーが1人でトークを展開する形。
「今日は、アルバムをすでに、買ってくれた人が来てくれていると、いうことで。ありがとうございます」
「このアルバムには、たくさんの、元ネタみたいなものがあるので…これの、ネタばらしみたいなことを、やったら、面白いんじゃないかと思いまして。実験的に、やってみようと思います。…実験的なので、行きあたりばったりに」
「準備をギリギリまでやっていたら、遅刻してしまいました。すみません」
どこまでもマイペースなうっちーながら、さすがに演奏もせずにステージに30分間1人という状況に、ちょっと緊張しているというか、テンパっているというか、そんな感じがありつつイベントスタート。


■ジャケットについて

これはウェンディ・カルロスの「SWITCHED ON BACH」というアルバムのパクリをやろうとした(けど、うまくいかなかった)。

Switched on Bach

Switched on Bach

 

「SWITCHED ON BACH」はシンセでバッハの曲をカバーしたアルバムで、シンセサイザー音楽の歴史に残る作品。1968年と、かなり早い時期に発売になっている。
(なお話を聞きながら、ジョージが「電子音楽の世界」を個人作品として作ったり、「ヒア・カムズ・ザ・サン」のレコーディングにシンセを持ち込んだのが1969年だなあ、と、ビートルズ筋少よく比べるマンは思っていた)

ウェンディ・カルロス氏は後に性転換をして女性になっており、このジャケットの男性=カルロス氏だと思っていたうっちーは「あのバッハのおじさんが…」とたいへん驚いたが、このジャケットの人はカルロス氏ではなく単なるバッハ役の人であったとのこと。(このへん、ニュアンスが正確に把握できず)

そして、このバッハシリーズ第2弾のアルバムジャケットでは、バッハおじさんはなんと宇宙に行っている。

Switched on Bach 2

Switched on Bach 2

 

(たぶんこれだろう)
だから、セカンドではこっちもジャケットを宇宙にしよう!とのことです。


■「イワンのばか」について

「この人の曲です」とタブレットに表示した写真は、自伝を上梓したてのワジーこと和嶋慎治氏(笑)。「間違えた!」と言いつつ、エフェクター本の宣伝をしてあげるというひとネタを挟んで、無事にふーみんの写真が表示される。

フェードインで入ってくる曲というのはいろいろあって。
例えば、E.L&Pの「タルカス」。そして、イエスの「危機」。
この2曲のイントロの感じを混ぜたらどうなるか?というところからの発想。
(それぞれのジャケットを見せつつ、「どちらもどこか(店内)で売っていると思うので…とさらに宣伝を挟む律儀さ)

Tarkus

Tarkus

 
危機

危機

 

 ここで実際に、この2曲を同時再生してみていました。
「僕はこれ、30分くらい聴いていたいんですが」といううっちー。おお…なるほどわからん…

「♪3年殺しを…」部分の元ネタは、クラフトワーク

Mix

Mix

 

これかな?

ある時、このアルバムを聴いていたら、不意に「3年殺しを…」のリズムにハマると思い、「こりゃーおもしれーや」ということで当てはめてみたとのこと。なるほどわからん(2度目)

台詞の部分は、ロシア語に翻訳してしゃべらせた音声を使っているが、「イワンのバカ」と「イワンの馬鹿」で、それぞれ翻訳アプリを通すと語順が逆になってしまうということにTDの段階で気づき、あわてて差し替えたのだそうな。
それにしてもうっちー翻訳アプリ好きだなあ。

■「サンフランシスコ」について

冒頭の「さようならさようなら…」部分の台詞は、いろんな速度に加工した音声を重ねている。3番目がいい感じに訛ったイントネーションでお気に入り。
寺山修司と名付けた」。これはなんとなく言わんとすることはわかる。

■「カーネーション・リインカネーション」について

シュゴオオオオオみたいな音は、さぞ高級なシンセを駆使して作った音であろうと思いきや、単に「シュゴオオオ」っていう息を吹き込んだものを加工している。

ジャケットとイワンでだいぶ時間が割かれ、残りは簡単に小ネタ披露のみでした。

そんな感じで、音ネタ芸人のネタ見せみたいなトークイベントは終了。
マイケル風の衣装は早々に脱がれ、パーカー+マスク+なぜか裸眼、というスタイルでサイン会が行われ、最後に写真撮影をして、イベントすべて終了となりました。

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おもしろかった。
短時間のインストアイベントでも、適当なおしゃべりでお茶を濁すのではなく(それが不得手ということもあるのだろうけど)、わざわざ面白いことをやろうと試みてくれる姿勢に、真面目かつ面白いことが好きなうっちーの性格を垣間見た気がしました。

あと、私は今日会場で初めて音源を聴いたのですが、「内田くんには筋少の曲がこう聞こえているのかと思うと恐怖を覚える」やら「狂気を感じる」といった、ミュージシャン仲間たちの感想が非常に腑に落ちました。
それから聴く前に読んだJUNGLE☆LIFEのインタビューで語られていることもよくわかった。「星の夜のボート」の「ドアーズ・ギャグ」っぷり、笑いました。私もそんなに詳しいわけじゃないけれども、あ、ああ~~~っ!てなった笑。

全体として、たしかになんとなく間抜け、なんとなくチープ、でもその感じが聴きやすいというか、大仰な感じがなくて良い。

今回は最初ということもあり筋少のカバーという形をとったけど、水戸さんとやっているユニットのほうでリリースがあるかもしれない、という発言などもあり、次回作にも意欲的な様子でした。
個人的には、それもいいけど、完全オリジナルトラックでのアルバムというのも聴いてみたいなあとも思った。ちょっと怖いけど。

「こういうことが面白いと思ってしまっている、そんなお年頃なので、よろしくお願いします」という言葉が印象に残りました。いくつになっても面白いことを見失わない、発見し続ける、そんな人間でありたい。私も。